愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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122第3部 法文学部の現在と未来 社会からの声 愛媛大学法文学部が創立50周年を迎えられましたことに心からお祝いを申し上げます。 この機会に愛媛新聞の報道紙面も織り交ぜながら法文学部50年の地域社会への貢献という不易と時代が求める組織変更という流行の歩みの概略をたどります。 1949年5月の愛媛大学発足にあたって文理学部(人文学科・理学科)が創設されました。この文理学部を法文学部と理学部に分け、教養部を新設し、愛媛大学が総合大学を目指す改組案の予算折衝がようやく認められたのは1968年1月でした。 愛媛新聞は、「改組実現の報は地元松山でも大喜び。当の大学部内では、さっそく当年度の法文、理両学部の学生募集要項の作成に取りかかる一方、増員教官の確保とあわただしい空気に包まれている。」と報じ、また「新しい門出について県内政財界や関係者は喜びとともに今後とも協力をおしまないと語っている。」と大学内の高揚や地域社会からの期待と興奮を紹介していました。 ところで、愛媛新聞では毎年年末にその年に起こった県内外の大きな事件や出来事を10大ニュースとして紹介しています。法文学部発足の1968年は「大学闘争」が頻発した年でした。同年の国内10大ニュースのトップ記事の見出しは「荒れ狂った『若い力』」でした。記事では「ことしは東大はじめ全国各地で学生紛争が相次いだ。警察庁の調べによると、ことし初めから11月末までに紛争が発生した大学は国公私立あわせて107校。全く紛争が起きなかったのは岐阜、高知両県だけ。全国が大学紛争のアラシに巻き込まれた形である。」とあります。愛媛大学地域創成研究センターがまとめた、「愛媛大学の歩み」によりますと、愛媛大学でも遅れること1年の1969年に学生紛争が本格化。6~7月には一部の学生が法文学部本館や大学本部事務局を封鎖する事態になりました。 このように騒擾な雰囲気の中で、愛媛大学の文理学部を法文学部、理学部、教養部に発展解消させる文理改組を含めた国立学校設置法改正案が参院で成立したことを受けた1968年4月28日付の愛媛新聞は、文理改組を「やっと実現」との見出しを打ち、「文理学部はやっと『よろず屋』から『高級専門店』へ衣替えした。」と解説しています。これにより愛媛大学は、既設の教育学部、工学部、農学部と合わせて5学部1部と「名実ともに四国一の総合大学」となりました。 同日付の別面では内定した初代法文学部長の「地域社会への貢献という地方大学に課せられた任務を全うするため、もてる情熱をさ愛媛大学法文学部の50年と愛媛新聞愛媛新聞社 代表取締役社長 土居 英雄文理学部改組時の愛媛新聞記事(1968年4月28日付1面トップ)

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