愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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20第1部 法文学部50年史はじめに 1968(昭和43)年に発足した法文学部が歩んできた50年の歴史は多様な視点から跡づけることができよう。ここでは法文学部の今後を展望すべく、教育研究組織の変遷とその制度的特徴に焦点をあてることで、創設以来初めて1学科体制となった「新法文学部」の歴史的位置を検証したい。 旧制松山高等学校・文理学部時代を含めた1998(平成10)年までの法文学部の歴史は、すでに『愛媛大学五十年史』が詳細にまとめている1)。そのためここでは、とりわけ1990年代半ば以降の叙述に重点を置く。以下の各章は、文理学部時代を含め基本的に学科構成を画期とする時代区分に沿って配列したが、2018(平成30)年現在で島根大学、愛媛大学、鹿児島大学を残すのみとなった「法文学部」という学部の存立基盤を改めて考察すべく、特に「法文学部」それ自体の歴史と性格を省みる第1章を設けている。1)旧制大学時代の法文学部 最初に「法文学部」が設置されたのは、1922(大正11)年、東北帝国大学である。その2年後の1924(大正13)年に九州帝国大学にも法文学部が設置された。 法文学部設置の経緯に関して、関正夫氏は、「大正期には、デモクラシー、人文主義が高揚した。それとともに、官僚養成のみを目標とし、実業界の人材育成を軽視していた、従来の法科大学の教育に対する社会的な批判もかなり高まっていたのであろう。東北と九州の法文学部設置に際して、貴族院では次のような付帯決議がなされた。従来の法科大学の教育が法律に偏する嫌いがある。それを改めるため、人文系の学科を広く採り入れた円満な知識人の養成を要望するというものであった」2)と述べている。 この経緯は、例えば東北大学のウェブ・サイトでは、「東京大学など先行する帝国大学には、すでに法学部、経済学部とならんで文学部が設けられていたが、本学においては狭い専門領域に教育を限定することを避け、幅広い教養教育をめざして法文学第1章 「法文学部」とは何か

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