愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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22第1部 法文学部50年史 しかし、1979(昭和54)年に熊本大学が、翌1980(昭和55)年に金沢大学と岡山大学が法文学部を改組して法学部・経済学部・文学部を設置し、新潟大学は人文学部・法学部・経済学部を設置した。さらに2018(平成30)年に琉球大学は法文学部と観光産業科学部を改組して人文社会学部と国際地域創造学部を設置した。そのため、2018(平成30)年4月の時点で法文学部を有しているのは、島根・愛媛・鹿児島の3大学だけである。3)「法文学部」の基本的性格 このような日本の国立大学における「法文学部」の(特にいわゆる戦後の)変遷を見れば、この学部が、一方では法学部・経済学部・文学部に分離独立するまでの《過渡的・暫定的》な《文系複合学部》という性格をもっていたことは否定できない。しかし他方では、東北・九州の両帝国大学に法文学部が設置された時の理念、つまり人文社会科学系を包括する《文系総合学部》である強みを活かして、本当に社会に役立つ知識人を養成するという理念は、「法文学部」という名称を冠する学部の存立基盤であることもまた否定できないのである。1)戦後教育改革と大学 1945(昭和20)年8月の時点で、愛媛県内には二つの官立高等教育機関が存在した。松山高等学校(1919年設立)と、新居浜高等工業学校(1939年設立)である。これらに県立愛媛師範学校・女子師範学校(1943年に統合され官立愛媛師範学校)と愛媛青年師範学校(1944年に官立専門学校へと昇格)、県立松山農業学校(1945年に県立農林専門学校へと昇格)を統合して生まれたのが愛媛大学である。 戦後教育改革の指針となったのは、1946(昭和21)年3月にSCAP(連合国軍最高指令官)へ提出された「第1次アメリカ教育使節団報告書」である。同報告書は高等教育に関して、多くの人に機会を開き、学問研究・一般教養教育・職業的訓練の3機能を果たすべきことなどを提言している。これを受け、内閣総理大臣の諮問機関で第2章 文理学部から法文学部へ

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