愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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23Ehime University Faculty of Law and Letters 50thある教育刷新委員会(1946年設置)は、従来の高等教育機関である専門学校や高等学校を廃止し、大学に一元化する方針を打ち出した。 その後制定された学校教育法(1947年公布)第52条は、「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的・道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」と規定した。ここに大学は、旧大学令(1918年公布)による「国家ニ枢要ナル学術」の教育研究という枠組みから解き放たれたのである。2)新制愛媛大学の発足 1948(昭和23)年に文部省は、「新制国立大学実施要綱」と「大学法試案要綱」を発表し、原則として各都道府県の高等教育機関を、所在地名を冠する一つの国立大学に統合する方針を明確化した。現在まで続く地方国立大学配置の骨子はこの時に定まり、愛媛県でも県内高等諸学校を統合する大学設立へ向けた準備が加速した。大学設置委員会(文部大臣諮問機関)での審査は1948年10月頃に始まり、翌49(昭和24)年3月に他の新制国立大学とともに設立が認可された。「国立学校設置法」が公布されたのは同年5月31日であり、ここに愛媛大学が正式に設置されたことになる。 入学者選抜で愛媛大学は2期校に分類され、初の入学試験は1949(昭和24)年6月に実施された。入学式は7月28日、開学式は11月11日(開学記念日)である。学部構成(定員)は、文理学部(180人)、教育学部(480人)、工学部(120人)であった。各学部の所在地は現在とは異なり、文理学部は松山市持田町(現持田地区)、教育学部は同市道後町(現城北地区)と御幸町、工学部は新居浜市庄内町に置かれていた。3)文理学部人文学科の概要 旧制松山高等学校の施設と教員を引き継いだ文理学部は、当初人文科学科(定員120人)と自然科学科(同60人)で構成された。その後学科構成は、人文科学科・理学科、文学科・法経学科・理学科を経て、1953(昭和28)年以降は人文学科と理学科の2学科体制に落ち着いた。 法文学部の前身である人文学科についてみると、同学科(甲)には哲学課程(哲学専攻)・史学課程(史学専攻)・文学課程(国語・国文学専攻、英語・英文学専攻、独語・独文学専攻)の3課程が、同学科(乙)には社会科学課程(法学専攻、経済学専

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