愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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24第1部 法文学部50年史攻)が置かれ、卒業生にはそれぞれ文学士、社会科学士の学士号が授与された。発足後数年間の人文学科の入学者数は、以下のように推移している。うち括弧内は女子学生数であるが、その少なさが目につくだろう。 1949(昭和24)年:117人(3人) 1950(昭和25)年:102人(10人) 1951(昭和26)年:141人(14人) 1952(昭和27)年:文学科48人(8人)、法経学科56人(0人) 1953(昭和28)年:甲54人(6人)、乙56人(3人) その後女子学生の割合が人文学科(甲)でコンスタントに20%を超えるのは1958(昭和33)年度以降であり、1962(昭和37)年度以降になると50%前後となるが、人文学科(乙)では全期間を通じて終始0〜7%の範囲で推移した。 専攻別卒業者数をみると、1回目の卒業生(1953年)から、文理学部最後の卒業生を送り出した1975(昭和50)年までの23年間で、哲学76人、日本史・外国史199人、地理学(1968年度より)14人、国語学・国文学216人、英語学・英米文学286人、独語独文学31人、法学920人、経済学480人となっている。4)文理学部の改組再編 独自の専門教育に加え一般教養課程(1年半)を担当した文理学部は、「愛媛大学施設総合整備計画」(1951年)に基づき、持田地区に一般教養課程を、城北地区にその他の専門課程を配置することになった。しかし結局、人文学科の移転が始まらないうちに文理・教育・工の3学部と一般教育課程を城北地区に集中することとなり、1964(昭和39)年までに文理学部の城北移転が完了した。 また同年には学科目制が導入され、人文学科には哲学、心理学、日本史学、外国史学、国文学、英米文学、独語独文学、公法、私法、政治学、理論経済学、経済政策学、地理学が置かれた。 このように文理学部は教育や施設が充実していく一方で、課せられた目的が多様であったため、1963(昭和38)年の中央教育審議会答申「大学教育の改善について」6)にみられるように、所期の目標達成を危ぶむ議論が生じるようになった。さらにベビーブームによる学生急増に対応する必要もあり、1964(昭和39)年以降、全国的に文理学部改組の動きが始まった。 愛媛大学でも同年より本格的な検討がはじまり、1967(昭和42)年には従来の人

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