愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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29Ehime University Faculty of Law and Letters 50th処遇など山積する問題の解決に時間を要し、ようやく今年〔1995年〕四月の愛大将来計画委員会で「来年度から廃止」を了承。六月の評議会で決定した」とある8)。 この教養部廃止は各学部にも大きな意味合いを持っていた。第一に、教養部教官が各学部に移動することで人員に変化が生じた。第二に各学部にも改革が要請されることになった。それというのも、1993(平成5)年の評議会決定ですでに「学部一貫教育を具体的に実践するに当たっては、〔中略〕その前提として、一般教育等科目の教育は、全学の教官が担当することとする」9)とされており、そこから新たな教育カリキュラムと学部の研究教育組織の再検討が必要とされたからである。 教養部廃止が決定するまでにも、1993(平成5)年に授業評価が始まったり、翌年にシラバスが導入されたりと大学の教育改革は進められていたが、ここに学部改組は大きな局面を迎えることになった。3)4学科案から2学科案へ 大学は、「新教育組織将来構想」作成のため、1993(平成5)年9月末までに教育研究組織の改革案を提出するよう各学部に要請していた。その時点での法文学部の希望は各学科の学部としての独立であり、その前段階として「法経、文の2学部構想を検討したが、平成5年2月にこの構想の先送りを決定」し、新学部設置を断念していた。一方、学科の改組・新設については「教養部の改組に伴って検討することになる。〔中略〕教養部教官を受入れる場合には、学科の改組は必要である」とし、教養部改組の動向をにらみつつ改革の方向性を思案していた。大学側の資料として残っているものでは、当時「大綱化」を受けて「生活社会学部」や「言語文化学部」などの文系再編を匂わせる新たな学部案も存在していたが、法文学部としては、結局1996(平成8)年度4月開始とする改組案として、1994(平成6)年秋の時点では学部名は既存のまま残し、新たに学科を新設し4学科とする案を策定した。 この4学科案では、既存の法学科、経済学科に合わせて、文学科を「人間科学科」と「地域言語文化学科(当初は国際文化学科)」とに改組拡充し、教員組織は大学院改組とも連動して、8大講座・大学科目から14大講座・学科目へと再編・拡充することとされた。この時、法学科では「法と政策」や情報科学教育など福祉や情報などを盛り込んだ実験講座開設を、経済学科では従来の5大学科目制の枠を取り払い3大学科目(政策科学、国際比較、マネジメントシステム)を設置することが目指されており、のちの2学科改組のひな型が見受けられる。新設予定の「人間科学科」は、従

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