愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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58第2部 法文学部の思い出 卒業生の声愛媛大学と私のHISTORY1979(昭和54)年 法学科卒 吉田 一惠 愛媛大学法文学部創立50周年おめでとうございます。 私は,今から43年前の1975(昭和50)年からの4年間,愛媛大学法文学部法学科の学生として,大学生活を謳歌していました。皆さん覚えていますか? 当時をデータで表すと,法学科122人(内女性11人),定員:法文学部180人(法学科120人,文学科60人),全学1,255人,授業料36,000円,学食(素うどん40円)でした。 私が卒業を迎えた1979(昭和54)年当時は,女子学生(特に四大卒)にとっては就職が非常に厳しい時代で,「愛媛大学に就職します!」と学務係の方達に報告をすると,「男子学生に間違われたのじゃないのか?」と冗談を言われた程でした。それから早いもので,39年の時が流れ,附属中学生の3年間を加えると,愛媛大学との関わりは,46年と本当に永い時間となりました。その中でも法文学部生としての4年間は,正に大人でもなく,かといって子供でもない,なんとも自由で,なんとも楽しい時間でした。 私は,中学から続けていたバスケットボール部に所属し,入部当初は,女子部は4回生と2回生の先輩が一人ずつしかおらず,私たち1回生7人は,4回生のキャプテンの卒業に花を添えたいとの思いで,1回生男子を相手に練習,OBや男子先輩の指導の下,ワン・スリー・ワンと独自のフォーメーションを組み,いきなり四国インカレで優勝し,皆の度肝を抜いたものでした。 ゼミナールは,人気の故三島宣也教授の民法ゼミで,セミ選択時,男子とのじゃんけんで勝ち抜き,学年で11人しかいない女子の内4人が同ゼミに所属することになりました。ゼミでは先輩方とも非常に仲良く,先生の研究室に常に皆が集まり,毎日そこに行けば,誰かに会え,話せ,また,ゼミ対抗ソフトボール大会や,何回やるのかというほどのゼミ旅行,理由をつけては食事会を開き,潮干狩り等の季節毎のイベント,遊びも勉強も,皆で全力投球でした。研究室のドアの上に鍵があり,そこから鍵を取って入る。今思えば,研究室を占拠していたようなものでしたが,賑やかすぎる私たちを寡黙な先生は,いつも優しく,見守ってくださった姿が今も目に浮かびます。 3回生の後期から,学務係から紹介を受け,二番町の法律事務所でアルバイトをしていました。ここは歴代文学科の卒業生が働かれていました。徐々に裁判関係書類も作成させていただくようになり,法学科の私にとっては,とても興味深く,面白い仕事でした。そのまま就職することもできたのですが,元々公務員志望の私は,結局,国家公務員としての道を進むことにしました。学務係の方達とよく話をさせていただいていたこともあり,「大学職員」は私にとって身近なもので,私の大学職員としてのキャリアは,やはりこの法文学部から始まっています。  学生時代は,学生として窓口から見える狭い世界を大学と思っていましたが,今度は,大学組織の中から大学を見つめることになりました。 1979(昭和54)年満開の桜の時期に真新し(上)ゼミ対抗ソフトボール大会優勝しました!(1978年春、卒業アルバムにも掲載された写真)(下)ゼミ・梅津寺パターミニゴルフ場にて(1978年秋)ゼミ夏旅行 愛南町の私の実家の庭でバーベキュー(1978年8月)ゼミ卒業旅行(1979年3月、山口県萩市)

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