愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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66第2部 法文学部の思い出 卒業生の声先輩とのこと1994(平成6)年 文学科卒 中澤 信幸 その先輩との出会いは、私が2年生になってからのことでした。 当時は1年次~2年次前期は「教養部」に属し、2年次の後学期になって専門課程に移行するというカリキュラムでした。1年生の時から少しずつ専門科目は履修していたものの、まだまだ慣れずに不安に思っていた時に、いきなり「演習」の授業で発表することになってしまいました。 それまでは「教養部」でも専門科目でも、大人数で受講する講義がほとんど。少人数で受講し、また発表もある「演習」は初めてのことでした。いったいどうしたら良いのか途方に暮れていた時に、その先輩から電話がかかってきました。 「やり方わからないだろ? いっしょに準備しようよ」 この時の先輩の気遣いに、どれほど救われたことか。先輩には文献の取り扱い方やレジュメ(ハンドアウト)の作り方など、懇切丁寧に教えてもらいました。そして先輩に手伝ってもらったおかげで、何とか「演習デビュー」を済ませることができました。 以来、先輩にはさまざまな場面で助けてもらうことになりました。研究室も同じ清水史先生(日本語学)のところになり、いつも二人で先生の研究室に押しかけては、コーヒーやお菓子をご馳走になりました。先生も私たちを大変かわいがってくださり、研究室で有意義なお話をしてくださったり、ドライブに連れて行ってくださったりしました。 私はいつしか「清水先生のような大学教員になりたい」と思うようになり、大学院進学を考えるようになりました。先輩はもともと中学・高校教員志望だったのですが、専攻科(当時は大学院がなく、1年制の専攻科がありました)に進学した頃から、清水先生の勧めもあって、他大学大学院への進学を目指すことになりました。いわば私が「道連れ」にしたようなものです。 4年生になった私と、専攻科生の先輩とで、それからは卒業論文と受験勉強に励むことになりました。清水先生のもとで専門の勉強をした他、故・杉山聖一郎先生(哲学)のもとでドイツ語論文を、また塚本秀樹先生(言語学)のもとで英語論文を読むことで、外国語の受験勉強としました。どの先生方も(恐らくお忙しかったのでしょうが)根気強く私たちに付き合ってくださいました。その甲斐もあって、先輩と私は翌年にはめでたく他大学の大学院に進学することができました。 先輩とは大学院進学後は離ればなれになってしまい、年数回、学会などで会う程度でした。その後、私は無事に博士の学位を取得し、縁あって台湾の大学で日本語を教えることになりまし清水史先生と(2005年10月9日)

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