愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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68第2部 法文学部の思い出 卒業生の声 叶 う1995(平成7)年 文学科卒 石丸 陽子(旧姓・柳垣) バブル期の終わりのことである。高校生の私は、叶うことなら本州にある大学に進み、大企業で働きたいと考えていた。しかし、センター試験の得点が低くて、国立大学の合格率は60%に満たないと予想された。担任の先生に受験先を変更するように言われたが、私は果敢に愛媛大学法文学部文学科にチャレンジしたのだ。どちらかと言えば用心深いほうだったのに、今もって不思議である。  運良く合格した愛媛大学での生活は、南予の小さな町出身の私にとって十分に刺激的だった。暮らしやすく、適度ににぎやかな松山の街。全国から集まった個性豊かで知的な学生たち。そして、実力ある聡明な先生方。 その中でも、当時の国語国文学専攻の教室はいろんな意味でおもしろかった。そこは好奇心旺盛でおしゃべりな女の園(男子学生はいたが)。文学を学ぶことは人間を学ぶこと、と私たちは架空の物語、本当のものがたりに時を費やし、そのうち少々のドギツイ話なら涼しい顔をしていられるようになった。 専攻の研修旅行では訪れた地の名所旧跡や名産品よりも、星空を背景に船上でオカリナを吹いていた彼とか、旅行中の連歌で(前の句とはテーマや視点を変えるべきなのに)私の前で必ず恋の句を詠んで困らせた彼女とかのほうが印象に残っている。スーツを着て、先輩方の後に付き学会のお手伝いをするのも、大人の仲間入りをしたようで楽しかった。 5人の先生方は、皆働き盛りのお年頃だったと思う。ご専門も個性も異なる先生方の研究室を学生は「書庫」「神社」「喫茶」などと呼んでいた。それぞれが指導を受ける先生の熱烈な信奉者であり、自分の先生の講義では他の研究室の学生に先んじて前の席に陣取ったものだ。田村研究室の学生は、知識豊かで上品な先生のことを、尊敬を込めひそかに「憲治さま」とお呼びし、ふだん物静かな先生から何か言葉を掛けていただこうものなら小躍りして他の学生に自慢した。当時先生が私に「君を振るなんて見る目のない男だなあ」と言ってくださったことは、今も心の支えである。清水史先生には方言をはじめとした言葉の豊かさを、美山靖先生には古典を読むことの基本を教わった。小松光三先生の講義で源氏物語から「かなし」の用例を300以上カードに取ったことも印象深い。しかし、先生方の知識や指導力、人としてのありかたのすばらしさを実感したのはずいぶん後のこと。あの時少しでも理解していればと悔やまれる。 試験の時期が来ると、多くの科目のレポートが課され、合計すると数十枚にもなった。近代研修旅行にて同回生と研修旅行にて、先生方おそろいでのお茶席

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