愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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69Ehime University Faculty of Law and Letters 50th文学はいつも手書きで20枚だった。特に白樺派と里見弴の時は難題で、近代文学専攻で、私の学生生活全般を優しい姉のように支えてくれたしっかり者の友人にアドバイスをもらいながら、図書館の書庫をさまよいつつ、なんとか仕上げた。そんな環境で私は、実に安心して勉強……以外のサークル活動やアルバイト等に精励し、結果として4回生の終わりになっても就職は決まらず、卒業論文も遅々として仕上がらなかった。田村先生が夜通し研究室を使わせてくださり、先の友人をはじめ同回生が原稿用紙を切り貼りして訂正を手伝ってくれたおかげで、1月31日〆切当日の午後になってやっと卒業論文を提出し、試験を受けて専攻科へ進んだ。 6月になって、高等学校の講師の話が舞い込んだ。先年の採用試験に不合格であったし、あまり気がすすまなかった。田村先生に相談したところ、愛媛県の高校教員のご経験がある大西貢先生に話してみるよう言われた。大西先生はユニークで豪快で、博識な心優しい方であった。当時の学生たちが研究室の『日本国語大辞典』に紙を挟み、「大西する」という架空の動詞とその意味(先生の特徴を捉えたものであった)を付け加えたほどだ。大量の本が積まれた研究室で、先生は当然行くべしと私の背を押してくださった。不思議と迷いがなくなり、無事に勤めることができた。その後も、大西先生には新規採用時や結婚による転勤などの折々に力づけていただいた。本当に有り難いことだったとしみじみ思われる。 大学時代の、どの人、どの出来事が欠けても、今の私はない。高校生の時考えていたのとはずいぶん違うところにいるけれども、まずこれで良かったと思えるのは幸せだ。 その昔、瀬戸内海で活躍した村上水軍の旗には「叶」の文字があった。目的地に向かって海を進むとき、潮の流れや天気は決して人間の望むようにはならない。自分の力だけではどうにもならないことが、天か神か、何らかの力によって良いように成し遂げられる、「叶」はそのことをいうのだと聞いた。ならば、私は大学で叶ったのではないか。国語の教員になってからも、特別支援学校で小学生と勉強したり、愛媛県立図書館の職員として働いたりと思いがけないことが多かった。しかし、行く先には必ず愛媛大学に関係した縁があって助けられ、その信頼関係を基盤に、新しい世界をひらくこともできた。 友人が皆驚いた私の結婚相手は、法文学部法学科の出身である。娘は予定より10日遅れて件の1月31日に生まれた。高校生になり、アイダイに行きたいなどと言っている。そして、私にこの原稿を依頼したのは母校の准教授となった同回生。何らかの力が働いていることはもう、疑いようもない。 当時は考えられなかったことだが、今では愛媛大学を目指す高校生を指導する立場である。褒められた学生でもなかったけれど、そうした失敗の話の方が生徒たちの励みになるようだ。お世話になった先生方の足下には遠く及ばなくとも、変化する厳しい世の中を進み続ける若い人たちを応援していきたい。そして、私自身も人生の折り返し地点から、もう一度「叶」の旗を掲げ、学びや人との出会い豊かな旅に出かけてみたいと思っている。卒業論文提出日に講義棟の前で(〆切時間は17時)卒業式の日に田村憲治先生と

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