愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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73Ehime University Faculty of Law and Letters 50thけに貴重な経験ができたと思っています。 ゼミの指導教官はマーケティング論の大原純一教授でした。週一回のゼミでは7名の学生が持ち回りで自由な内容で発表を行いましたが、各自の興味に偏った内容であっても大原先生は寛大に受け入れて下さり、様々な内容に関心を示されておられました。私自身は、松山でも大手が続々と進出しつつあったコンビニエンスストアを題材に毎回発表したのを覚えています。その発表内容を踏まえ、卒業論文でも「愛媛県内におけるコンビニの現状と今後」を研究対象としました。 また、ゼミのイベントで思い出深いのはゼミ対抗のソフトボール大会です。山越グラウンドで一日かけてトーナメント方式の大会が行われ、大原ゼミは見事決勝まで進みましたが、三塁を守った私のエラーで惜しくも準優勝に終わり、ほろ苦い思いをしたのを覚えています。 3回生の冬からはいよいよ就職活動に臨み、まずは資料請求のはがきを100社に送ることを自らに課しました。当時インターネットによるエントリー受付は一部の企業で始まっていたもののまだまだアナログな手法による活動が中心で、「手書きこそが企業に熱意を伝える」という法文学部の就職指導員の方からのアドバイスによりひたすら手書きのはがきを書き続けました。それから自己分析を進め、自分の就きたい仕事とは何なのかを初めて真剣に考えました。続いて3月ごろから合同説明会が始まり、本格的に選考がスタート。面接ではサークルで会長を務めた経験から、自らのマネジメント力(があるかのような話)をPRの中心に据えました。 最終的には、大阪まで5回の面接を経て4回生の8月に内々定を得た企業にお世話になることを決めて就職活動は無事終了。報告に行った指導員の方々にも大変喜んで頂いたのを覚えています。就職活動は一見無駄に思えることもあったかもしれませんが、それは単に卒業後の就職先を決める作業ではなく、学生から社会人になるために精神的な習熟を図る期間であり、必要な通過儀礼であったように思います。 卒業は1998(平成10)年3月。その3年前にWindows95が爆発的普及をしたことによりインターネットは身近になりつつありました。また、その頃にはポケベルを使っている人は少数派となり、PHSや携帯電話の普及が拡大していました。卒業式ではサークルの後輩に盛大に見送られ、もう帰ってはこない学生生活を思い一抹の寂しさを覚えると同時に、胸に刻んだのはいよいよ社会人として巣立つという気持ちでした。式の翌日、大いなる期待と不安と前日の打ち上げによる二日酔いを携えて入社式が行われる東京へと向かいました。 卒業から気がつけば20年が経過しました。現在は松山に戻り家業のオフィス用品販売の会社を経営していますが、その仕事先や会合で愛媛大学法文学部同窓生に出会うことがあります。世代は違っていても、同窓生であることが分かるとお互いの距離が縮まるように感じることは言うまでもありません。愛媛大学法文学部には今後も愛媛の経済界における重要な人材を輩出し続けて頂くことを願って止みません。

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