愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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74第2部 法文学部の思い出 卒業生の声清水研究室と「私」1999(平成11)年 文学科卒 田中 千晶 私が愛媛大学法文学部文学科に入学したのは1994(平成6)年の春でした。入学時の私は「大学での学びに期待し、学ぶ意欲に充ち満ちた学生」ではありませんでした。今振り返ると、愛媛大学の学生としての心構えがなかったことを後悔しています。そのような私でしたが、『愛媛大学法文学部創立50周年記念誌』に寄稿するにあたり、学生時代を回想し、思い出を書き綴ってみたいと思います。 まずはじめに、当たり前の事ですが学生時代には「自由な時間」がありました。学生時代は、大人たちに「学生は暇だ」などと言われると腹を立てていましたが、自分が社会人として働く今、その言葉が本当だったと痛感しています。 バイトをしました。時間を気にすることなく友人と遊びました。もちろん授業にも出ました。当時の私は、自分は忙しいと思っていましたが、間違いなく今より余裕がありました。悪く言えば無責任でいられた時代でした。忙しいと言いながら、夏休みには1ヶ月も愛媛を離れ、バイクに乗って北海道まで出かけていたのですから、学生時代の私は、遊ぶことに忙しかったのです。贅沢な話です。あの頃の「自由な時間」をもっと有効に使いたかったなぁ~と今更ながら反省しています。しかし、その余裕ある時間を旅に使えたのは幸いでした。バイクという移動手段を得た私は、九州から北海道まで色々な地域を巡ることができました。貧乏旅行だったので、ご当地グルメに舌鼓を打てなかったのは残念ですが、それぞれの地域で生の言葉を聞くことが、その後「方言」に関心を持つきっかけになったと思っています。 そしてもっとも思い出深いことは、清水史先生の門下生になれたことです。2回生の後期、それまで漫然と大学生活を送っていた私ですが、自分が大学で何を学ぶかを決めねばならない時を迎えました。この時の私は、文学科の講義を受講しながら自分の知識が浅いことを痛感していました。大学の先生方の専門知識の片鱗に触れ、無知を痛感した私は申し訳ない気持ちになり、自分が場違いな所にいるのではないかと不安になっていたことを思い出します。 自分が何に興味があるのか考えた時、当たり前に使っている自分の「言葉」が出てきました。気付かずに使っていた方言、旅先で聞いた初めての言葉、そういった日常生活で使う「日本語」を、「語学」として掘り下げて学んでみようと思い、清水研究室の門を叩きました。この時の選択が、私の今を支えてくれています。清水研究室には、当時はまだ珍しかったパソコンが並び、プリンターまで備わっていました。もちろん現在のプリンターとは違い、ドットプリンターでしたので印刷時の音は大きく、そのスピードも今とは比べものにならない遅さでした。とは言え、手書きよりも綺麗で、校正も容易いワープロソフトでの作業に楽しさを感じていたのも事実です。 ただ、レポートの期日が近づくと、そのプレッバイクでの北海道旅行

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