愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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82第2部 法文学部の思い出 元教員の声 愛媛大学法文学部が、平成30年4月1日をもって創立50周年を迎えることができたことはまことにめでたい。というのも、2年前平成28年に2学科から1学科(人文社会学科)に改組し、当然学部の名称も変更を余儀なくされると覚悟していたが、文科省の指示で法文学部名を維持することになったからである。おかげで、やきもきしていた法文学部同窓会も変更の混乱に陥ることなく、50周年を祝うことができてなによりである。 法文学部は今は日本全国に島根大学・鹿児島大学・愛媛大学の3大学しかない。いずれも文理学部の改組によって生まれた学部である。愛媛大学の場合は、昭和24年大学発足と同時に文理学部もスタートし、19年後の昭和43年4月、文理学部改組によって法文学部・理学部及び教養部が誕生した。 私は昭和43年3月愛媛大学文理学部を卒業した。私が人文学科に在籍していた頃の独語・独文学教室は、教員が8名で学生より多かった。一番お世話になった三好助三郞先生は、私の卒業と同時に定年で松山を去られ、独文の先生は法文学部文学科独文に2名、教養部ドイツ語教室に6名が所属を変わり、文理学部は姿を消した。 ドイツ文学研究の道を歩み始め、私は島根大学を経て昭和52年4月、愛媛大学教養部へ戻った。そこで過ごした18年間にはいろいろあったが、詩の研究会を10人ほどの教員で作り、およそ10年間に100回研究会を重ねてそれぞれ成果を上げたことは、いい時代だったことの証である。 さて、法文学部へ私が移籍したのは平成7年4月だった。私は「欧米文化」の「ドイツ近代文学」担当教授として、亡くなった土屋明人教授の後任に採用された。最初の仕事は「新任教官研修」を受けることだった。溝口学部長と事務部各係長による「愛媛大学及び法文学部の現状と今後の展望」の講義を中心とする内容であった。学生に専門教育を教えることは、教養部にいたときからドイツ文学の講義を少し担当していたから、不安はさほど無かったが、法文学部の現状と展望については、一度の講義くらいで私に把握できる状態ではなかった。なぜなら一年後の平成8年3月に教養部廃止が決定され、愛媛大学全体の組織改革・教育改革が始まり、教養部の全教員が各学部ヘ分属し、法文学部には30名以上の移籍が予定されており、一方、法文学部自身も3学科を2学科に改組中であったからである。 平成8年からは人文学科に限ってみても、移籍の26名を加えた73名の教官組織となり、全員が学部専門教育担当はもちろん、夜間主コース、全学共通教育を担当するなど新しい体制に移行する準備に、会議の連続の一年だった。平成8年3月に28年の歴史を刻んだ教養部は廃止、同時に4月から法文学部は総合政策学科と人文学科に改組され、教員数135名法文学部創立50周年に寄せて愛媛大学名誉教授・元法文学部長 森 孝明

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