愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
84/192

84第2部 法文学部の思い出 元教員の声 法文学部の財政学の助手として愛媛大学に採用されたのは、1980年10月のことであった。大学院入学に苦労し、同期生よりも5つほど年上であったが、博士後期課程修了まで半年を残して中途退学し、大学に職を得ることができたことは本当に幸運であった。当時は、奨学金採用人数との関係で大学院生の入学が定員の3分の1ほどに制限されていた時代だったが、それでも大学に就職することは容易ではなかった。大学院5年間の在籍後も2年か3年、人によっては5年もいわゆる「オーバードクター」をすることが普通で、博士在籍中に就職できたことで、入学までのロスを取り戻すことができたのだった。 赴任当時、法文学部では81年4月からの経済学科の設立に向けて準備が進んでいた。経済学の教員は法学科に属していたが、学科設立のため増員されることになっていた。10月に3名の教員が赴任したのはその一環で、私はそのうちの一人であった。教員は10名となったが、経済学専攻の学生は約20人という小所帯であった。以後学科誕生までの半年間、教員と学生が全員顔見知りという得難い環境で教員生活を送ることができた。 翌年の2月だったと思う。期末試験が終わって、経済学専攻の学生、教員が全員参加し、大学のバスで1泊2日の南予への合宿研修が行われることになった。寒い京都からやって来た私は、菜の花の咲く暖かい南予の風景を想像して楽しみであった。初日は、伊予市で花カツオの工場、大洲市で家庭電器の工場を見学し研修は順調だった。ところが、バスが八幡浜から佐田岬半島に入る頃から天候が悪くなり、ついには激しい吹雪となった。当時、国道197号線は「行くな国道」と言われたほどの悪路であった。吹雪で見通しの悪い中、時々大型トラックがやってきて、すれ違う度に皆から悲鳴が上がる有様だったが、なんとか目的地の三崎町に到着した。着いた時は寒くて雪が舞ってはいたが、皆で名物のアコウの大木を見学するゆとりがあった。三崎港の近くの旅館に泊まることとなり、その晩は懇親会で楽しい一時を過ごしたが、外では強風を伴って雪が降り続いていた。 夜が明けると、あたりは一面の雪である。深いところでは40センチはあっただろうか。その日見学予定の伊方原発からは、職員が出勤できないので取り止めとの連絡が入った。バスも動かせないので松山へ帰ることも出来ず、仕方なくもう一泊することとなった。外は大雪で外出もままならず、宿の中でトランプをしたり、麻雀をしたりして時間を潰すしかなく、実に退屈であった。教員の間では、宿泊延長の費用をどうするかも話題になった。三日目の朝、ようやく雪はやんだが寒さで雪が溶けず、バスでは帰れないため、三崎発八幡浜行きの高速船に乗ることになった。運転手も後日バスを取りに帰ることにして、一緒吹雪の南予     —赴任直後の合宿研修のことなど— 愛媛大学名誉教授・元法文学部長 小淵 港

元のページ  ../index.html#84

このブックを見る