愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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88第2部 法文学部の思い出 元教員の声 65歳で私が法文学部を定年退職してから、今年で5年になります。私は古希を迎え、その同じ年に法文学部は50周年の節目を迎えたとのこと。この機会に、私自身の現在の状況を示しながら、かつて教育に従事した我が身を振り返りつつ、今後の法文学部の教育に期待することの一端を述べてみたいと思います。 退職後におけるこの5年間は、私が法文学部のことを思い出す機会がほとんどありませんでした。それは、一つは所属する学会にかかわる仕事で追われ、また一つは、在職中の最後の4年間は学部長の職にあり、自分の研究のための時間をなかなか確保することができず、失われた時間を取り戻そうと必死であったからです。 そもそも私が愛媛大学に赴任したのは、最初は教養部でした。教育としては哲学ないし宗教学を担当し、まさに「教養」を重視しつつ、宗教学という授業を通して「人間であること」の意義を学生に説きました。その後、教養部廃止に伴い法文学部に配置換えになり、日本思想史ないしは倫理思想史を担当することになりました。しかしながら、いわゆる「専門」に移っても、専門的な知識を学生に教授しながら、私は一貫して「教養」を重視してきました。 その後、学部長職にあったころには、それまで学内措置として二学部制をとっていた法文学部を、実質的に総合政策と人文という二つの学部に分ける計画が立ち上がり、実現に向けて努力されました。その際は言うまでもなく、どのような人材を学部で育成するのかという「人材育成」が主要なテーマになりました。この「人材育成」という言葉は、全国的な教養部廃止に連動しつつ、現今の大学における教育のありようを決定的に規定してきたものです。その背景には、1990年代以降あからさまになってきた、産学協同の流れがあります。 ここにおける産学協同とは、学生が大学を卒業して社会人として産業界に入るというプロセスを先取りし、その視点から大学における教育のあり方を考えるというものです。人材育成という概念はまさに、そのような産学協同の視点からとらえられたものであり、社会人(ないしは産業人)たるにふさわしい人材を育成するにはどうすべきか、ということが問われ、当然のことながらその人材育成には、企業のイメージする「人材」が重ね合わされることになります。 社会が成立するには、そのための資源が必要になります。企業の場合は一般的に、経営資源として、次の三つが挙げられます。すなわちヒト、モノ、カネです。人材は言うまでもなくヒトを指し、したがって人的資源(manpower)を意味します。しかしその際、理解しておかなくてはならないのは、この三者が基本的に、資本主義社会のルールとして同等の価値を有している、ということです。要するに、ヒト、モノ、カネの間に優劣の差はつけられないわけです。 学部長職にあったころの私は、それらのことを踏まえつつ、「人材育成」の理念をどうし法文学部の思い出と、法文学部の教育に期待すること 愛媛大学名誉教授・元法文学部長 黒木 幹夫

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