愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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90第2部 法文学部の思い出 元教員の声 周知のように,法文学部は,愛媛大学設立と同時に誕生した文理学部を前身とし(1949年5月31日),18年後に文理学部の改組によって理学部および教養部とともに誕生した(1968年4月)。この時の法文学部は法学科と文学科の2学科であり,経済学科は13年後に法学科から独立する形で新設された(1981年4月)。筆者が赴任したのは経済学科であり(1985年1月1日付),経済学・経営学・会計学などを網羅することになる学科の草創期にあたる。 ちなみに,筆者の採用は現在では普通になった公募によるものであり,法文学部では公募による採用第1号となった。赴任後に30人近くの応募があったと聞き,筆者の強運はこの時に遡る。法学科の15小講座から「公法」「私法」「政治学」の3大講座への改組(1985年4月),および経済学科の「経済理論」「応用経済」「比較経済」「経営・会計」「管理・情報」の5大学科目への改組(1987年4月)は筆者赴任直後のことであった。 医学部の新設(1973年9月)によって6学部(法文,教育,理,工,農,医)・1部(教養部)になり総合大学に発展した愛媛大学は, 1990年代に大学設置基準の大綱化を受け教養部の発展的解消による法文学部3学科の学部化を目指す。だがこの3学科独立構想は教養部の廃止と法文学部の改組(総合政策学科と人文学科)として実現したものの(1996年4月),学部の新設は社会共創学部の新設(2016年4月)まで待たねばならなかった(法文学部は人文社会学科に改組)。 筆者は,在職した32年3カ月(1985年1月1日〜2017年3月31日)のうち3分の1を経済学科,3分の2を総合政策学科の教員として過ごした。経済学科時代の法文学部には旧制高校で教育を受けた先輩教員が健在であり,期せずして戦前の高等教育経験者に同僚として接することができた。 また,法学科および経済学科の総合政策学科への改組にあたっては,教養部教員の分属と新学科のカリキュラム構築という課題に直面した。法文学部は総合政策学科および人文学科への改組に多くの教養部教員の協力を得て,130名を優に超す陣容で教育・研究体制を整えることができた。現在の愛媛大学教育・学生支援機構の各種センターの充実も教養部廃止による専任教員定員の配置によるものである。 総合政策学科の名前は先行した慶應義塾大学や立命館大学を,コンピュータやフィールドワークを重視したカリキュラム内容は両大学のほか信州大学を,実地調査を実施したうえで参考にさせてもらった。少人数教育を徹底するために演習(ゼミナール)を2回生後学期から実施することになったのもこのときからである。総合政策学科への改組とともに旧工学部棟の整備による研究室移動(現総合研究棟II)も実現した。 法文学部はもとより愛媛大学にとって大きな転機になったのは小泉内閣のもとで決定された国立大学法人化であろう(2004年4月)。大学ごとに法人化し自律的な運営を確保する,大学運営への学外者の参加を制度化し社会の声を反映した大学運営を実現する,非公務員型の採用による弾力的な人事システムへ移行し産学官連携を活発にする,評価の実施によっ経済学科から総合政策学科へ     —法文学部の歴史の一齣と白い動物— 愛媛大学名誉教授・元法文学部長 赤間 道夫

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