越智 雄磨講師

おち ゆうま / Ochi Yuma

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専門分野:表現文化論
教員からのメッセージ
 みなさんはダンスについてどのようなイメージを持っているでしょうか? テレビをつければ多くのCMでダンスが踊られていますし、ダンスを踊らないアイドルグループはほぼ皆無です。インターネット上ではダンスの愛好者がアップロードした動画が数百万回再生されているという例も多く見られます。こうした状況を踏まえてみると、人は踊らずにはいられないのではないか、あるいは他人が踊っているのを見ずにはいられない生き物なのではないかという気さえしてきます。
 ところで私の主な研究対象は、コンテンポラリーダンス(現代ダンス)です。それは基本的には舞台芸術としてのダンスであり、プロの振付家やダンサーによって創造されるダンスです。フランスでは、ルイ14世が17世紀に設立した王立舞踊アカデミーが現在のパリ・オペラ座バレエ団の起源となっていますが、王政が終焉して200年を経た1980年代に入っても国が文化政策としてダンスを支援し、現在も新しいダンス作品が作られ続けています。その歴史を追っていくと、優雅で美しい踊りもあれば、人が内側に隠してきた醜さを曝け出すような踊り、踊らないダンス(←もはやダンスといえるのか?)、踊りの素人が出演するものまで様々な作品が登場してきます。
 ここまで読んで、私が矛盾したことを書いていることにお気づきでしょうか? 芸術としてのダンスの歴史に踊らないダンス、素人が出演するダンス? そこまでをコンテンポラリーダンスの範疇に含めるならば、冒頭で挙げたようなテレビやネットで見るようなダンスとプロの芸術家によって行われるダンスの境界は限りなく曖昧なものになります。なぜそんなことが現実に起こっているのか? それは、プロと素人という区別にかかわらず、ダンスという芸術の根本的な素材が私たちの誰もが持っている「身体」であること、経験や文化を異にする全くの他者同士であっても身体的な感覚を共有できることに由来するのではないかと思います。そして人は必ずしも高いスキルのダンスに感動する訳ではありません。むしろ踊り手の「存在」が賭けられている時に感動することがあります。そうしたことを考え合わせると、畢竟、ダンスとは私たち自身や他者の「存在」を際立たせる芸術であり、他者と「共に存ること」を考える芸術だと言えるかもしれません。
 ダンスが好きな人もそうでない人も、ダンスや身体≒存在の多様性について共に考えてみませんか。劇場の舞台からYouTubeまで、古典的なバレエからアイドルのダンスまで考えるべきことはたくさんあります。そこから芸術や表現の世界はもちろん、私たちの関係性から生じる同時代的な社会のありようも見えてくるはずです。