愛媛大学法文学部 国際交流報告書2015
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6 18日、桃園空港に到着すると、多くの開南大学の学生が出迎えてくれた。学生寮に泊めていただくことになっていたため、バスで大学まで向かい、割り振られた部屋にそれぞれ挨拶に行った。私が泊めてもらう部屋は、開南大学生2名と愛媛大学生2名の4人部屋で、2段ベッドが左右の壁際に設置されており、清潔感のある部屋だった。2人とも快く迎え入れてくれ、言葉が通じないながらも、身振り手振りでコミュニケーションを取ることができた。ドライヤーの貸し借りや手紙交換など、些細なことでもそのルームメイトの方たちと繋がることができたことが、本当に嬉しかった。 2日目は、10人ずつの4つのチームに分かれ、交流を踏まえてタピオカミルクティーを製作した。開海大学の学生たちが、朝早くから下ごしらえをしてくれており、作り方を教わりながら班の全員と協力して調理した。共同作業のため非常に会話が弾み、その会話の中で、台湾では、日本人が水やお茶を飲むのと同じ頻度で、紅茶やミルクティーが飲まれているということがわかった。また、販売されている紅茶やミルクティーには果糖が大量に使用されているため、日本で販売されているものよりも甘さが強い。文化の違いについて、実感することができた。 その後、開南大学の学生によるプレゼン発表があった。内容は、お茶の歴史や種類、伝統的な飲み方、また、生活の中でお茶の存在がどのように変化してきたか、というものだった。台湾では、1717年ごろから茶葉を加工したものがすでに飲まれており、戦前には、品種改良されてできた紅茶が飲まれるようになった。しかし、第二次世界大戦後、当時の茶畑は食料を栽培するための畑となり、茶葉を生産していた人々も、他の産業へと移ってしまった。結果、茶畑は90%以上減少した。戦後から現在にかけては、経済発展と共に新しいものが積極的に取り入れられるようになり、緑茶が発展したそうだ。また、自動販売機やコンビニエンスストアが普及したことにより、自分でお茶を煎れて飲むのではなく、既に抽出済みのお茶や紅茶を飲むことが主流となっている。時代と共に、人々とお茶との関係性が希薄になっていることが分かった。これらのお茶に関する知識に触れたうえで、翌日は茶畑とお茶工場の見学に行った。見学させていただいた茶畑は、広さが1万坪もあり、これだけの大きな土地で、3人で作業をしているという。葉のサイズは均等でなければならない、虫を近づけてはいけない、といった条件があり、管理するだけでも大変な作業であると実感した。また、茶葉を収穫したら、すぐにお茶にするための作業が必要なため、丸一日かかるそうだ。少人数で茶畑を存続させていくことは厳しい現状にある。次に訪れたのは、桃園市内にある大渓老茶廠という場所である。ここは、実際に工場として使用されていた場所で、当時稼働していた機械などが、そのままの状態で残っていた。効率良く製造するための工夫や、空気を循環させるための設備が整っており、中には日本人のアイデアも導入されていた。 3日目は、班ごとにこれまでのまとめと発表をおこなった。私たちの班では、台湾の学生は伝統的で素晴らしいお茶の生産方法について知らないという点に注目した。実際に、教室にいる台湾の学生全員にお茶の生産方法を知っていたか聞いたところ、ほとんどの学生が、知らなかったと答えたのだ。そのため、若者がお茶に対する知識を深めることで、母国を誇りに思うことができ、お茶の魅力を外へ発信しようという気持ちが強まるのではないか、そして、その意識が歴史あるお茶の文化を守っていく気持ちにつながるのではないかと考えた。解決策として、小学校や中学校の教育の中に、お茶工場の見学を取り入れることを提案した。また、茶葉がそれぞれどんな味なのか、簡単にわかる方法が見つからなかったため、それぞれの茶葉を、風味や濃さを軸に図式化すれば、海外の人もより気軽にお茶を楽しめるようになるのではないかと考えた。これらの作業の時間は限られており、言葉の壁があるなか、短い時間で自分たちの意見をまとめることは非常に難しかった。ここで、自分の意見を上手く表現できないもどかしさや、相手が言いたいことを理解できない悔しさを味わうことができた。また、相手の気持ちを汲み取ろうと必死に耳を傾け、共有できた時は、手を取り合って飛び跳ねるほどに嬉しかった。 2日目、3日目と、放課後に社会見学として、各班の開海大学の学生たちが、普段利用する店や遊び場を紹介してくれた。19日は、桃園市内にある夜市を訪れた。飲食店が集まったスペースと、輪投げや的当てゲームができるスペースがあり、多くの人でにぎわっていた。ここを訪れている人は観光客よりも地元の人のほうが多く、料理も台湾人向けのものが多かった。開南大学の学生に勧められた台湾料理を実際に食べてみると、どれも独特の風味があり、日本料理とは異なる美味しさがあった。さらに、日本よりも物価が安いため、500円程度で食事も遊びも楽しむことができた。20日には、少し都会に近いまちを訪れた。デパートや百貨店が立ち並び、華やかな雰囲気がある一方で、歩道には、きちんと区切られていない小さな店が並んでおり、飲食店や。また、交通量はかなり多いが、日本ほど規制はされておらず、原動機付き自転車に二人乗りしていたり、歩道のすぐ脇を車が猛スピードで駆け抜けていた。一般的な観光地ではなく、地元の学生が普段行く場所を訪れたため、台湾人の日常生活を垣間見ることができた。台湾研修だからこそ、できた経験であると思う。 自分が住んでいる国以外の人たちとこんなにも深く関わり、共に時間を過ごすという経験は生まれて初めてであった。言葉や生活文化、街並みなど、自分を取り巻く環境が異なれば、考え方も感じ方も異なるということに改めて気づくことができ、それでもお互いに歩み寄り、理解する努力をすればわかりあえるということも、身をもって経験できた。今回の台湾研修は、毎日が発見と驚きの連続であり、充実した時間であった。台湾研修報告書法文学部総合政策学科観光まちづくりコース 3回生 松本 芽衣「歓迎愛媛大学」の横断幕を前に。前列左から2番目(黒い服の女性)が郭先生。中央の男性(茶色のジャケット)は開南大学人文社会学科の趙順文学科長
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