愛媛大学法文学部 研究ニューズレターvol.6
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 9近著紹介  『ロンドンの戦死者追悼――「民衆の巡礼」と「市民的愛国心」――』晃洋書房,2022年3月刊 まずは,出版社による本書の宣伝文を見てもらいたい。また,本書の表紙カバーの写真も掲載する。 戦争記念碑は,遺族一人ひとりの「悲しみの場」なのか,それとも国民国家のために犠牲を求める「顕彰の場」なのか。本書は,ホワイトホールのセノタフ,シティのロンドン部隊記念碑,イングランド銀行記念碑などの設立過程を,新聞史料に依拠して描く。記念碑に花輪を捧げた当時の人々の心性にも迫る,「戦死者追悼の社会史」を目指す。 本書は,愛媛大学法文学部においてこの十数年に少しずつ研究を進め,旧人文学科の「人文系担当学部長裁量経費報告書」やそれを引き継いだ『多文化社会研究』1号(2014年3月)から8号(2021年3月)に書きためた文章を再構成し,ロンドンの現地調査や資料調査の成果を可能な限り追加したものである。裁量経費報告書にしても,『多文化社会研究』にしても,人文学科や人文学講座という狭い領域で配布した「ミニコミ誌」に書いたものである。 もちろん「査読」などはなく,毎年3月初旬に印刷所に入稿して年度内に講座の予算や個人研究費で出版するという毎年綱渡りのような状況であった。4号と5号を除いて私が編集した。今思うと楽しくもあり,「昭和の印刷所」に直接校正刷りを届けるという体験を通じて,この間の日本の印刷・出版業界の変化に直に触れた。7号からは卒業生が就職したセキ株式会社にお願いしている。その辺の事情は第7号の編集後記に書いた。 戦死者追悼をテーマとする本書が研究対象を,イギリスの政治・行政の中枢ホワイトホールに建つセノタフと,シティ・オブ・ロンドンという金融市場の狭い地域の記念碑に限定した理由について,説明しておきたい。 それは,2001年に愛媛大学公開講座「四国遍路と世界の巡礼」の講師を頼まれたことから始まる。この公開講座は愛媛大学四国遍路・世界の巡礼研究センターの出発点といも言えるものである。近現代イギリスを研究する私が選んだのは「イギリスにおける民衆信仰―キリスト教巡礼とその衰退」という講義であり,カンタベリー巡礼について,殺害された当時の大司教トマス・ベケット(聖トマス)の霊廟の成立と宗教改革期における霊廟の破壊を論じたものであった(遍路センターのホームページに掲載)。今見ると恥ずかしい限りであるが,近代のプロテスタント国家イングランドには旅としての巡礼がないことが分かった。その後あれこれ調べる中で,北フランスやベルギーに置かれた第一次世界大戦のイギリス人戦死者墓地を遺族が訪れる行為を「戦争墓巡礼」と呼び,イギリスではそれなりの研究蓄積のあることが分かった。実際に,ロンドンから鉄道とフェリーを乗り継いで,ベルギーのイープルに二日がかりで訪れたこともある。また,1919年7月のロンドン戦勝パレードの時に建てられたセノタフに遺族の女性たちが花を捧げるようになり,その行為を「大巡礼」と呼ぶことも知った。11月11日の直近の日曜日にホワイトホールのセノタフで行われている現代の追悼式典に,群衆のひとりとして何回か参加した。本書のテーマは,四国遍路と世界の巡礼研究に参加する中で,「奇跡」によって発見されたのである。 もう一つ,なぜシティなのか。ロンドンのシティは,今でも世界最大の国際金融市場である。シティは時代の変化に対応し,「見えざる輸出」を稼ぐ,イギリス最大の「輸出産業」と言っても良い。 私の若い頃の研究テーマがイギリス金融資本の研究であった。戦後歴史学や大塚史学の枠内での定性的な経済史研究であった。社会史など新しい歴史学が注目を浴びるような学界情況の中で,次第に自分のテーマが時代遅れに見えてきた。その間,福祉国家のキリスト教的基盤の探求など,研究テーマを模索する時期が続いた。西洋史概論や特講のテーマもそれに伴ってあれこれ変わった。私自身の研究テーマの模索の行き着いた先が,シティにおける「戦死者追悼の社会史」であった。幸い科研費にも採択された。 シティの金融市場の中枢に位置するのがイングランド銀行である。本書では同行記念碑も扱っているが,何と言っても,王立取引所前に設置された「ロンドン部隊記念碑」がシティの戦死者追悼の中心にある。シティの地元紙の記事を通じてこの記念碑を調べていく中で,さらには現在も行われている追悼式典を観察する中で,「市民的愛国心」の問題,あるいは,市民軍を地域社会が支えるという,自由主義国家イギリスの軍隊の持つ特殊性に迫れるのではないかと考えるようになった。しかもシティという地域社会をミクロに見ることによって。本書ではこの点を十分に展開できなかったが,退職後は深めてみたい。 本書は,法文学部人文学講座の出版助成がなければ,出版に至ることはなかったと思う。人文学講座の学術研究委員会,運営協議会,さらには人文学講座事務室の矢野元さんにはたいへんお世話になった。記して御礼申し上げたい。次年度からは法文学部として出版助成を用意することになったが,法文学部の研究パフォーマンスの向上に資することを願っている。NEWS LETTER vol.6吉田 正広ロンドンの戦死者追悼――「民衆の巡礼」と「市民的愛国心」――

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