や行

柳 光子教授

やなぎ みつこ / YANAGI Mitsuko

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専門分野:フランス言語文化

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教員からのメッセージ
 振り返ってみると私はずいぶん長い学生生活を送りました。複数の奨学金制度のおかげで20代に,そのおよそ半分に相当する期間をフランスで過ごすという幸運に恵まれたことは,今も私の大切な財産です。主な研究対象のラシーヌは,フランス古典主義時代の文学を代表する作家のひとりで,シェイクスピアより少し後の時代に劇作家として活躍した人物です。太陽王ルイ14世の宮廷で恋愛悲劇の名手とうたわれ,その作品は今日なおパリの国立劇場をはじめフランス内外で上演され,観客に感動を与え続けています。日本で上演されることは稀ですから,留学生時代にはよく劇場に足を運んだことが懐かしく思い出されます。
 では私のゼミで学生たちが何を勉強しているのか,大雑把に言えば,フランス語圏の文化に関することであれば何でも,ということになります。とにもかくにもフランス語を勉強しないことには始まらないのですが,これが「難しそう」と敬遠されがちなのは残念なことです。というのも,日常生活に必要な語彙数がわずか5千語,文法やスペルの読み方が非常に規則的で,400年ちかく──つまりヴェルサイユ宮廷時代から──ほとんど変化していないフランス語は,外国人にとって実は学びやすい言語だからです。ゼミの学生たちの多くが3回生で仏検3級を,頑張った学生は卒業までに2級を取得しています。
 実践科目群の授業「欧米語学実践」でのフランス研修も,参加可能ならぜひお勧めしたい3週間前後の研修旅行です。語学力を磨くこと,異文化を実体験することの大切さは言うまでもありませんが,参加者が思いがけない卒論のテーマと出会って帰ってくることもあり,そうした時の指導は私にとって苦労はあれど,楽しみもまた多いものとなります。フランス語やフランスの文化に漠然とした関心なりお持ちのかたは,お気軽にご相談ください。

山口 和子准教授

やまぐち かずこ / YAMAGUCHI Kazuko

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専門分野:商法・海商法

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教員からのメッセージ
 愛媛大学に「商法」担当教員として赴任してから,早いもので20年以上がたってしまった。同僚の先生方もいつの間にか年下が多くなった。キャリアだけは長いのであるが,正直なところ学生の授業評価アンケートの結果には落ち込むことが多い。「授業が難しすぎて理解不能!」(←ちょっとは自宅学習してますか?),とか「小テストの内容が難しすぎる。」(←だから持ち込みを認めているでしょう)とか,授業に対する学生の不満が満載で,読むのがつらくなるほどである。「子どもは褒めて育てよ」というが,学生諸君も時々は,教員に授業のモチベーションが上がるような優しい言葉をかけても罰は当たらないと思う。
 さて,授業評価の結果が芳しくないのは私の能力不足もあるけれども,法律学という学問自体あまり面白いものではない。法律を勉強する理由は,公務員試験や各種の国家試験に必要だからとか,法曹になりたいとか,あくまで必要性が前提としてあることが多く,内容が面白くて勉強しているという人はただの変人である(!)。法律の用語は特殊で,難解なものも多く,最近の法律も現代化されてきているといえ,初学者がすぐに理解できるような内容ではない。法律学の勉強には,法律に独特の論理や解釈の方法,用語を習得するということが不可欠であるが,これは語学学習と同じで,地道にコツコツ勉強するしか方法がないのである。私がおすすめするのは,なるべく早い段階で,なにか資格試験や法学検定試験等に合格することを目標として設定することである。学習目標があることで砂をかむような法律の勉強のモチベーションを高めることができるだろう(私のゼミ(商法・海商法)では,希望者がいれば宅地建物取引士の資格試験の自主勉強会を開催します。)。
 以上で述べたことと異なるけれど,勉強を進めていくと,法律学とは本当は面白い学問であるということがわかる。法律には,現実のドロドロとした人間同士の争いを解決したり,その利害を調整する機能がある。社会の様々な場面で,法律がどのように機能しているのか(あるいは機能していないのか)を知ることは大変面白いことである。ぜひ一緒に法律を勉強しましょう。

山本 與志隆教授

やまもと よしたか / YAMAMOTO Yoshitaka

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専門分野:哲学

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教員からのメッセージ
 哲学は,古代ギリシア以来人間の知の根源を探求する学問として,我々が生きる世界と,その中の我々自身の存在について全体的かつ,根源的に考察してきました。そもそも哲学(philosophy,Philosophie)の語源がギリシア語の「知を愛し求めること(philosophia)」であったように,他の諸学問が「なにかのため」という実際的な目的を持つのに対して,哲学はそうした個別的な目的を持たず,専ら「知そのもの」を問い求めてきたということです。
 これは,現代の自然科学がテクノロジーと密接に結びつくことで実践的,実用的な知識を求めるのに対して,哲学が目指すのはそうした実践知とは異なる在り方をする,実用的な価値から切り離された「知そのもの」だということです。そしてこの「知そのもの」こそが他の全諸学問を根底において基礎づけるものなのです。
 そこで,哲学の意義が明らかになります。現代の学問として最も有力な自然科学は,我々人間の実際上の生活に多大な恩恵をもたらしました。科学技術の恩恵を一切排除するとすれば,我々は一日として生きることはできないでしょう。しかし一方で自然科学は,人間の環境世界としての自然の破壊や,人間の生命や死の概念の動揺といった,人間の存在にとってきわめて重大で,深刻な問題を投げ掛けていることも確かです。このような問題の生じてくることが,自然科学に本質的であるとすれば(私にはそのように思われますが),当の自然科学自身がこれらの問題を解決することは不可能でしょう。問題解決の前題として,まず自然科学そのものを問い,その根底にある本質を問い質すことが必要になります。これこそ哲学の役割です。しかも,問題がとりわけ我々自身がそれであるところの人間の存在に関わるものであることから,人間存在に問い掛けることになります。
 以上から,哲学的に世界と人間の存在を考察する必然性が明らかになったと思います。もちろんこのような必然性もさることながら,哲学としては,人間の存在について知ること自体の喜びや楽しみを忘れてはならないでしょう。授業はできるだけ皆さんとともに考えながら,人間存在についての理解を深めていきたいと思っています。

吉田 広教授

よしだ ひろし / YOSHIDA Hiroshi

専門分野:考古学

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教員からのメッセージ
 私はいまミュージアムにいて、いろいろなものに囲まれています。ミュージアムの展示はもう見たでしょうか。きれいなもの、おもしろそうなもの、むずかしそうなもの。さっと駆け足で通り過ぎてしまうと、そんな感想が多いことでしょう。大学生活もそんな風に漠然と過ごしていませんか。でも、ミュージアムの展示に多くの研究成果が詰め込まれているのを見過ごしてしまっているように、大学での日常生活の中にも、少し見方を変えれば、思いがけず新しい発見があるはずです。様々にものごとを見る、実はこれが学ぶことの第一歩ですし、ミュージアムもそのように見てもらうための施設です。
 私が専門としている考古学は、遺跡・遺構・遺物といった、もの言わぬ「モノ」を相手にします。見えない・話してくれない「過去の」他人に、「モノ」を通して向き合うわけです。そのためには、現在においても、様々にものごとを見ていくことが必要です。そして、ものごとの背後に人の息づかいを感じなければなりません。だから何気ない日常にこそ、学びのヒントは隠されているのです。
 まずは好奇の眼差しをあらゆるものごとに、そして人に向けてみてください。とりわけ、ネットを介したデータだけで見ようとせず、生身のものごとにこそ、生身のあなたの目を向けてみて下さい。その先に、自ら進む道が見えてくるはずです。
 そうした道のりを経て、学びに向かってくれることを待っています。そして全力で手伝いましょう。