愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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112第3部 法文学部の現在と未来 社会からの声 愛媛大学法文学部が創立50周年を迎えられますことを心からお喜び申し上げます。50年の長きにわたり、愛媛県の学術の中心として、人文社会諸科学の知識を基盤とした幅広い教養と実践的能力を有する、汎用的能力の高いグローバル人材の育成に努めてこられた貴学部のご功績に深く敬意を表したいと存じます。 「十年偉大なり、二十年畏るべし、三十年歴史なり、五十年神の如し」このような中国の格言があります。「長い年月の間、営々と事跡を積み重ねるのは偉大なことであり、三十年になれば歴史に刻まれ、五十年ともなると、歴史をも超えた領域に達する」という意味で、たゆみない活動の尊さを表現した言葉であろうと存じます。 昭和43年に文理学部が改組され、貴学部が創立されましたが、それ以降の50年間を振り返りますと、地域金融機関に身を置く者としましては、誠に感慨深いものがあります。 貴学部草創期にあたる昭和40年代は、わが国の「高度成長期」のピークともいえる時期でありました。当時の日本経済は9.2%という高い実質経済成長率(年平均)を記録し、わが国が、アメリカ、ソ連(当時)に次ぐ世界第三位の経済大国に躍進したのは、まさに貴学部が創立された昭和43年のことであります。 昭和45年には、“人類の進歩と調和”をテーマに掲げた「大阪万博」が開催されて、わが国の経済的繁栄を寿ぎますが、48年に日本経済は大きな転機を迎えました。「日本列島改造論」による公共事業の増大と開発ブーム、さらには石油危機の影響が加わって激しいインフレが発生し、その対策として実施した金融引締めを契機として、経済成長率は戦後初めてのマイナス成長に落ち込み、以後、昭和50年代末まで「安定成長期」と呼ばれる時代が続きました。重厚長大型産業が競争力を低下させ、代わって新たな主役となったのは、自動車、エレクトロニクスなどの加工組立型産業でした。 昭和60年代を象徴する出来事は、「バブル経済」の発生であります。日本中が、株価・地価の異常な高騰を続ける「バブル景気」に浮き立つなかで、地域の金融システムの安定化が強く求められたことを思い起こします。 平成の幕開けとともに、「バブル崩壊」と「デフレ社会」の到来。金融の自由化の波が押し寄せて、金融機関は淘汰再編が一気に加速進展しました。日本版ビッグバンのスタート、リーマンショック、インターネット系や流通系の銀行の誕生、ロボット、IoT、AIといった「第4次産業革命」によるフィンテックの潮流、加えて歴史上初めてのマイナス金利政策の導入など、経済・金融をめぐる環境が激変いたしますとともに、東日本大地震などの未曽有の歴史的事象を経験として、パラダイムも大きく変化しつつあります。 愛媛県においても、少子高齢化・人口減少社会の本格的到来、急速に成長するアジアへの対応、人々の価値観の多様化・高度化、地域間競争の激化など、地域社会・地域経済をめぐる環境変化の波が急激に押し寄せてきております。 こうしたなか、貴学部におかれましては、「生きた社会をつくる人間」「生きた文化をつ愛媛大学法文学部創立50周年記念に寄せて株式会社伊予銀行 頭取 大塚 岩男

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