愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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119Ehime University Faculty of Law and Letters 50thの功利主義、実利主義に走りやすいのが私たちです。目先ばかりを見て全体が見えない。俯瞰する目が必要です。 世界を見る、グローバル化することも 俯瞰の目の一つですが、時代を見る、過去を見る、末来を見る、今を見る、それも重要な俯瞰の目です。新しい出会いとなった先生方は、苦難の経験を経て俯瞰の目を持たれた方々でした。 愛媛大学の中にも頑として譲らない頑固者が必要です。それが、法文学部の存在意義だと信じます。大学の中に、時代に乗ることに慎重な懐疑的な学部があってもいいのではないでしょうか。俯瞰の目を以て、右往左往する現実を冷徹に見据える学部、時代を覚醒させる言葉を発し続ける学部、警鐘を鳴らす学部があってしかるべきでしょう。それでこそ「国立愛媛大学」といえるのではないでしょうか。一見「無用」なのだが実は「用」をなす、 「無用の用」と呼ばれることの名誉は法文学部のためにあると信じます。 経営協議会委員として、法文学部が消滅しそうな展開になっていることを知った時、愕然としました。功利主義、実利主義が幅を利かす今の時代です。国立大学だからこその自負をもって、今の時代に顧みられない法文学部を守るべきではないか。本当に法文学部を消滅させてしまうつもりなのか。その火が消えることは、愛媛大学の学問の心臓部が永遠に失われることになりはしないか。取り返しのつかない選択に賛同する先生方がいるのだろうか。今のこの時代という限定の中でどこかの要請にやすやすと乗ってしまうことの危険性を承知しているのだろうか。日本の学問は根を失ってしまうのか、日本は哲学のない国になってしまうのか、次々と恐怖にも似た危機感が襲ってきました。  私は、1985(昭和60)年から2000(平成12)年まで、教養部そして法文学部の夜間主コースで講義をさせていただきました。学生だけでなく社会人にも広く勉学のチャンスを与えておられることに共感を覚えておりました。ですから、法文学部への思い入れが、人一倍強いことは承知いたしております。 それだけに、このたび法文学部が創立50周年を迎えられましたことは本当に感慨深いものがあります。法文学部の存続に奔走してくださった大橋学長をはじめとする先生方のご 努力に称賛の意を表したいと思います。ありがとうございます。そして、50周年を飛躍の第一歩として、100周年に向けて新たな出発をしていただきたいと切に願います。松山市立子規記念博物館で松山子規会4月例会903回講演、題目『海南新聞』の俳句革新―愚陀佛庵五十二日の俳句革新―(2018年4月19日)

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