愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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120第3部 法文学部の現在と未来 社会からの声 今春、愛媛大学法文学部が創立50周年を迎えられましたことを心からお喜び申し上げます。 愛媛大学法文学部は、1968年(昭和43年)に創立されて以来、これまで長年にわたり愛媛県内唯一の国立大学の人文科学系学部として地域とともに歩み、多大な貢献をしてこられました。その功績は県内外から高く評価されております。歴代の学部長さんをはじめ、教職員、関係者の皆様のこれまでの御尽力に深く敬意を表します。 法文学部の卒業生は県内のみならず、日本全国、さらには世界各地で活躍しておられますが、愛媛県内の高等学校におきましてもたくさんの卒業生が、国語や英語、地歴公民の教員として中心的な役割を担って活躍しておられます。 私は現在、愛媛大学とは道路を挟んだ隣の愛媛県立松山北高等学校に勤務しております。校内放送等の音が届く距離ですので、もしかしたら法文学部のみなさんは、本校が毎日掃除の時間に流している校歌「澄みたる瞳」のフレーズを覚えておられるかもしれません。例年、本校の生徒も多数法文学部に進学しておりますし、愛媛大学が大学入試センター試験の会場となっているため、受験当日も生徒は普段どおり登校し、各教室で担任から激励されたあと全員で集団登校のように出かけています。 松山北高等学校は2年後に創立120周年を迎えますが、本校の前身である北豫中学校第4代校長は、小説「坂の上の雲」の主人公である秋山好古校長(1924年~1930年在職)です。秋山校長の時代、愛媛大学キャンパスのあたりは城北練兵場で、建物はなく広々としていました(地図参照)。戦前の一時期、北豫中学校には滑空部というのがあり、ここでグライダーを飛ばしていたそうです。 戦後、城北練兵場跡に愛媛大学が設立され、松山大学や松山北高校、勝山中学校、清水小学校、東雲小学校とともに文教地区を形成し、以来ともに歩んでまいりました。 隣に大学があることは、本校生徒にとっても大きな刺激となっており、この素晴らしい教育環境のもと、本校生徒ものびのびと学校生活を送っています。(写真参照) ところで現在、明治以来といわれる教育の大改革が進んでおります。 今年3月に高等学校の新しい学習指導要領が公示されました。施行されるのは2022年4月からですが、各高校においては、これに向けて、教育課程の検討や授業法文学部創立50周年に寄せて愛媛県高等学校長協会会長・愛媛県立松山北高等学校長 立石 淳男子棒体操(2012年、松山北高校体育大会)。グラウンドの向こうには愛媛大学の校舎が見える1928年 2万5千分の1地形図「松山北部」より

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