152第3部 法文学部の現在と未来 意外に多かった〈法文学部〉? いまや法文学部の看板を持つ大学は、わずかに3校になってしまいましたが、すでに廃止された9大学(「法文学部50年史」20~22頁参照)以外にも、かつては法文学部がありました。 戦前の帝国大学では京城帝国大学に1926(大正15)年に法文学部が開設され、戦後廃止されました。公立大学では1949(昭和24)年に大阪市立大学に法文学部が新設されましたが、のち1953(昭和28)年に法学部と文学部に分離改編されました。 私立大学の場合は、設置の経緯が「新設から分離改編へ」という流れに限らないところがユニークです。日本大学法文学部(1920年~1949年)と関西学院大学法文学部(1934年~1946年)の場合は共に新設されて戦後に分離改組という流れでしたが、法政大学法文学部(1922年~1947年)は法学部に文学科と哲学科を増設して、関西大学法文学部(1928年~1944年)は法学部に文学科を増設して誕生しました。こうした学部・学科拡充による法文学部設置の一方で、戦中期の学部・学科縮小のなか、立命館大学法文学部(1941年~1948年)は法経学部に文学科を加えて、同志社大学法文学部(1944年~1946年)は法学部と文学部を統合して設置されました。これら私立大学の法文学部も結局、戦後に分離改組となりました。こうしてみると、意外に(?)法文学部はたくさんあったと思いませんか。旧法文学部本館/講義棟(現共通講義棟B)の学部名文字看板より(写真提供:松本長彦教授)
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