愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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21Ehime University Faculty of Law and Letters 50th部が構想された」3)と述べられている。『九州大学百年史』ではさらに詳しく、当初政府は両帝国大学に法学部だけを設置する方針であったが、貴族院は「法学士は幅広い教養を持つべき」と主張し、その結果1921・22(大正10・11)年度における東北・九州両帝大の法学部創設案は変更され、両大学に法文学部が新設されることになったことを記している4)。 同書に引用されている1919(大正8)年12月2日付『東京朝日新聞』の「従来法学部は法律専門の研究に趨り形式主義に流れ、〔中略〕余りに権利義務の思想に拘泥せしを以て、〔中略〕行政官等となるには寧ろ円満なる知識を有して好都合なるべく、〔中略〕此点に於て法文学部制は存在の意義を有するものなるべし」という法文学部創設の理由に関する記事は、法・経・文の幅広い専門的知識を備えた「円満な知識人の養成」という法文学部の設置理念を報じている。しかし同時に『九州大学百年史』では、「法文学部の創設には実質的に法・経・文の3学部を1学部に圧縮して、高校卒業生の急増に備えようという意図があった」ことも指摘されている5)。 このように、実際には法学部と文学部をそれぞれ単独に設置するだけの財政的余裕がなかったという当時の政府の事情もあったにせよ、帝国議会でこのような「円満なる知識」を有した行政官等を育成すべしという附帯決議がなされていることは、「法文学部」という学部の基本的性格を考える上では重要である。 1945(昭和20)年の敗戦を経て、1947(昭和22)年にまだ旧制大学であった大阪大学と北海道大学に法文学部が設置された。しかしこれら4大学(いわゆる旧帝大)の法文学部は、1949(昭和24)年の新制大学発足とともに(北海道大学だけは1年遅れの1950年に)、法学部・経済学部・文学部へと改組されている。2)新制大学の法文学部 これと入れ替わるように、主に旧制高等学校を母胎として新たに設置された新制大学に法文学部が設置される。1949(昭和24)年の新制大学発足と同時に、金沢大学(旧制第四高等学校)、岡山大学(旧制第六高等学校)、熊本大学(旧制第五高等学校)に法文学部が設置された。さらに1965(昭和40)年に鹿児島大学(旧制第七高等学校)、1967(昭和42)年に琉球大学(アメリカ統治下で産声をあげた独自の歴史を持つ)、1968(昭和43)年に愛媛大学(旧制松山高等学校)、1977(昭和52)年に新潟大学(旧制新潟高等学校)、1978(昭和53)年に島根大学(旧制松江高等学校)に法文学部が設置された。

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