28第1部 法文学部50年史2学科時代(1996年~2015年)1)3学科から2学科へ 法文学部は1996(平成8)年に、法学科、経済学科、文学科の3学科から総合政策学科と人文学科の2学科へ改組した。この結果だけみれば総合学部とすべく改組に着手されたかのようであるが、当初存在していたのは4学科案という複合学部の深化へ向けた動きであった。1996(平成8)年の学部改組は、旧来の複合学部としてのあり方から2016(平成28)年改組における総合学部化への転換点をなしている。もっとも、この2学科への流れは学部それ自体が生み出したというよりも、学部改組における文部省との打ち合わせのなかで「突如」浮上したものだった。2)教養部廃止と法文学部改組 1996年学部改組の発端は、1991(平成3)年の「大学設置基準の大綱化」(以下、「大綱化」)に遡ることができる。これによって学部名称などは「法学部」「経済学部」「文学部」といった従来から存在したものに限定されなくなり、専門的な枠組みを超えた教育組織のあり方が開かれた(学部名の多様化・学際化)。さらに大学での教育が、教養課程から専門課程への移行という戦後長らく続いてきた形式から、「4年間一貫」あるいは「6年間一貫」教育が認められることになった(一般教育と専門教育の区分廃止)。 このことは、すでに18歳人口の減少が予想されていたなかで、専門の垣根を越えた特色あるカリキュラム作成を作成し、大学間の学生獲得競争を促す一方で、既存の学部教育と教養部に対して再検討を迫るものであった。ここから全国的に教養部改組・廃止の波が押し寄せることになった。 多くの国立大学で教養部改組が進められていくなか、愛媛大学のそれは「遅れている」とされた。当時、愛媛大学の教養部廃止をめぐる紛糾は学長選にも影響を与えたほどで、新聞でも取り上げられていた。結局、「愛媛大では八九年に「教養課程のあり方検討専門部会」を設置、検討を重ねていたが、一般教育のあり方や教養部教官の第4章 複合学部か総合学部か
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