34第1部 法文学部50年史従来の公務員という身分から団体職員となった。大学の「経営」については、あらたに学内に設置された経営協議会が、そして教育と研究については教育研究評議会が各大学の「独自の」方向性を決定していくことになり、これによって大学組織や財務はもとより、学部組織や人事においても文部科学省(2001年に文部省が改組)の影響が減少するとされた。 しかしその一方で、大学の方向性は、文部科学大臣が示す6年ごとの中期目標に対して各大学が策定した中期計画に則ることが求められた。また研究費については競争的資金の獲得が求められるなか、大学運営のために国から新たに支給されることになった補助金(運営費交付金)は年1%漸減され、全国規模での大学予算の「集中と選択」が行われることになった。すでに1991(平成3)年の大学設置基準の大綱化で大学間の自由競争は確認されていたが、各国立大学はより一層の競争原理のもとに置かれ、さらなる競争力と個性の提示が求められた。 愛媛大学でも「学生中心の大学」をスローガンにしながら地域貢献を掲げて、様々な改革が進められた。法人化から一年後の『愛媛新聞』に掲載された記事でも、法人化後の管理運営改革が取り上げられつつも、教育改革の遅れが指摘され、とりわけ地域貢献の実現が求められていた17)。6)法科大学院(ロースクール)の設置 国立大学を取り巻く状況が大きく変化し、地域との関係性が重要視されるようになったが、法人化と時期を同じくして、「司法過疎」解消の声に応える試みとして四国連合法科大学院の設置があった。法科大学院は2004(平成16)年4月に全国70以上の国公立・私立大学に設置された(2018年には37へ減少)。当時の司法改革の論議のなかでは、司法試験受験者が大学だけでなく予備校にも通っているいわゆる「ダブルスクール」のあり方について、法律家の質的低下をもたらしているという批判の声が上がる一方で、法曹需要の拡大が見込まれるなか、質量ともに保証する法科大学院設置を求める声が高まっていた。 また法学教育を看板に掲げる大学・学部にとっては、法科大学院を設置できるか否かは「格付け」に関わる問題であり、地方大学、とりわけ「司法過疎地」の大学にはこの選抜から外され、切り捨てられるとの危機感から、同大学院の設置が求められた18)。大学外部からも、2001(平成13)年11月には四国弁護士会からも、愛媛県と香川県で一つの連合法科大学院を設置する提言などの動きがあった。
元のページ ../index.html#34