愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
56/192

56第2部 法文学部の思い出 卒業生の声50周年から次の100周年へ1976(昭和51)年 法学科卒 上田 憲二 愛媛大学法文学部創立50周年おめでとうございます。心から御祝いを申し上げます。 私は、1972(昭和47)年に法文学部に入学し、1976年に卒業いたしました。1972年は国内の大きな事件として、2月には浅間山荘事件が発生し、5月には118人が亡くなった大阪の千日前デパート火災が発生した年であります。また、歌謡曲では小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」や森昌子の「先生」が流行る等、隔世の感があります。当時の同級生達は皆さん還暦を過ぎ、第二の人生を歩んでいる方々が大半でありますが、私は、未だに(株)フジで顧問の仕事をしながら、愛媛県スポーツ協会の役員もさせていただき、昨年の愛媛国体では入場行進や天皇呈后両陛下の懇談会にも出席させていただきました。 大学在学中は単位を取ることには気を配りましたが、卒業してから思ったことは、「もっと大学の時に勉強をしておけばよかった」の一点であり、現在でもそれは変わりません。1976(昭和51)年の卒業時は第一次オイルショックの時代で、原油の供給逼迫および原油価格の高騰と、それによる世界の経済混乱の状態で、国内ではネオンサインを消したり、スーパーでトイレットペーパーの買いだめが起きる等、様々な節約現象が起こり、それが就職活動にも大きく影響して、民間企業は大幅に採用を制限したため、同級生の中では就職浪人をする人も多くいました。 私は、幸いなことに愛媛県警に入ることができましたが、当時は愛媛大学から愛媛県警に入られていた先輩は3人位でした。今でこそ、愛媛県警にも多くの後輩が入っていただき各分野で活躍してくれています。愛媛県警に入ってまず思ったことが、前述の「大学の時もっと勉強しておけばよかった」であります。警察の現場では、―つ―つの事案の形態が違っており、適用する法律も違いますので、迅速かつ正確に擬律判断する知識が求められます。刑法にしても、刑事訴訟法にしてもしかりでありますし、その他様々な特別法の知識も要求されます。社会人となり、知識の大切さを痛感し大学時代の2倍3倍も勉強する生活が続き、それは松山東警察署長を退職するまで続きました。このことは警察だけでなく、どの職場、会社においても同じではないかと思います。 2011(平成23)年から3年間、法文学部の同窓会提供講座「社会と人間」の講座を担当させていただき「警察署長と語る」「警察で働く」の題目で授業をさせていただきました。授業では、愛媛県警を少しでも理解していただくべく、愛媛県警作成の「まもると安心の白書」を活用させていただき、なるべく具体的事例を交えな

元のページ  ../index.html#56

このブックを見る