愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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60第2部 法文学部の思い出 卒業生の声牧野研究室(東洋史)が与えてくれたもの1979(昭和54)年 文学科卒 菊川 昭治 皆さんはブラタモリ(NHK総合)という番組をご存じでしょうか。タレントのタモリさんがブラブラ街歩きをするだけのものですが,私はすっかり嵌まってしまっています。当初は東京を中心に江戸時代の痕跡を色々な角度から探していくもので,普段何気なく見過ごしてしまう坂や高低差を本気になって解説する,とてもマニアックな内容になっています。 何故,私が嵌まったかというと,坂や高低差のみならず川の流れや暗渠(地下に埋設したり,蓋をかけたりした水路),廃線跡,崩れかけた石垣など,密かに私が楽しんでいたものを紹介してくれるからです。番組を見る前から東京へ出張するたびに仕事先の周辺で坂や暗渠を探しては,坂の上下で何を結んでいたのだろう? 暗渠にした理由は? どう見ても昔は線路があったはず,などを想像し,勝手な結論を出しては楽しんでいました。 タモリさんが昼の帯番組を降板したのをきっかけに.街歩きの対象が全国の各都市に拡大され,とうとう松山(2016年1月30日,2月6日放送)にやって来ました。松山といえば松山城ということで始まった番組,次のカットになった途端,我が眼を疑いました。 見覚えのある鮮魚店の横を通り高さ3メートル近い石垣を右に見ながら歩くタモリさん,まさに,この石垣の上は私が学生時代の大半を過ごした場所(下宿)であり,六角堂の下のクランクを左に折れるころには,これが松山城の堀の跡ではなく,川(石手川)の氾濫から城下町を守るためのものだったことが解説されましたが,まさに,この事実が私に坂や暗渠や廃線跡などを巡る密かな楽しみを与えてくれたきっかけとなったものなのです。 既に下宿は解体され新しい家がありますが,堀のように思える場所は東雲公園と幼稚園として昔(40年前)の面影のままであり,大学時代の思い出が怒濤のように溢れてきました。 大学時代といえば,私が入学したのは1975(昭和50)年,文学科は定員60人で入学者数は66人,男性22人,女性44人だったと記憶しています。大学全体の入学者も1,000~1,200人程度で,入学式,卒業式は体育館(現在の第1体育館)で挙行されていました。 最初の学科(クラス)単位の授業は英語だったのですが,教室の入口付近には,どう見ても上級生と思われる人たちがたむろし,「流石に大学だな」と一瞬たじろぎました。初回の授業は先生が授業概要を説明するだけの15分程で終わり,折角だから自己紹介でもしようということになり,先生からもらった名簿の順番で始まりました。すると入口付近に居たどう見ても上級生の人たちが次々と自己紹介を始めたではありませんか,中には6才年上の方もいて,男性22人中の現役は半分だということが分かり,もう1度「流石に大学だな」と思いました。 入学後1年半は教養課程で一般教養の授業を受け,2回生の後期から専門課程に進級するというシステムで,専門課程進級の際に研究室へ配属されることになります。当時の文学科は,現在の中央図書館の3階にあり東から地理,哲学,西洋史,東洋史,日本史が並び,学科事務室を挟んで,西側に国語・国文,英語・英文,独語・独文の研究室があったと記憶しています。同じフロアですが,西側は女性が多く華やかで,東に行けば行くほどむさ苦しいおっさんがたむろしていた印象が強く残っています。 この研究室選びですが,希望を三つぐらい出

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