62第2部 法文学部の思い出 卒業生の声法文学部との不思議な縁1989(平成元)年 文学科卒 鳥生 勉歳 私は学生時代の4年間の他に、法文学部同窓会の理事を10年余り務めています。しかし、出会いはどちらも全くの偶然でした。受験のきっかけ 理数系が得意だった私は高校でも理系クラスで、九州にある大学の土木学科へ進学しました。ちゃんとした将来の目標があるわけでもなく、進路を考えなおしたいと1年で辞め、1年浪人した後、2回目の受験にあたり「自活」、すなわちアルバイトをして授業料と生活費を自分で賄うことを考えていました。 特に希望する学部学科はなく、何となく得意な数学や物理を活かせる工学部の夜間部を探していました。「やはり東京・大阪かな」とぼんやり考えていたところ、なんと地元の愛媛に夜間の学部があることを発見します。授業料が昼間部の半分(当時は年間12万6千円)、しかも4年で卒業できる(夜間は通常5年)……。飛びついたのが、たまたま愛媛大学法文学部だったというわけです。 やはり何となく「やるなら日本史かな」と、文学科の日・東文化コース(当時)へ。基礎科目の授業を受けるうちに横山昭市先生の講義、というより個性に衝撃を受け、元々、地理は好きだったことから人間科学コース(当時)に変更し、地理学教室の学生となりました。 とはいえ、松山に実家がありながら大学の近くに下宿し、アルバイト生活に明け暮れていた身です。勉強には熱は入らず、バイトで疲れ、学生2人の演習で居眠りしていて横山先生に「顔を洗ってこい」と怒られたこともありました。卒論もたいした準備もせずに、国勢調査のデータと県史・市町村史などの文献からまとめた「やっつけ」に近いものでした。よく卒業生が学生時代を振り返って「勉強をした記憶がない」と語りますが、全く同感です。バイク一人旅 毎年、夏休みになるとバイクで旅に出ました。当時は前傾姿勢の速いタイプが主流でしたが、私が乗っていたのは中古で買ったホンダHawkⅡ(250cc)というレトロなバイクでした。 1年目は憧れの北海道。太平洋側をひたすら走り青函連絡船で上陸、15日間かけて道内を駆け巡りました。帰りは日本海側の小樽―舞鶴フェリーを利用、1か月間の一人旅です。高速道路は一切使いません。旅費の節約もありますが、景色が楽しめないからです。駅や公園にテントを張って野宿、晩飯は携帯コンロで炊いて食べました(レトルトのカレーばかりでしたが……)。風呂は5日に1回程度、公園の手洗いで下着を洗い、髭や爪は伸び放題です。 2年目もバイクで北海道に行きたかったのですが、旅費を貯めることができず断念。苦肉の策で、松山商大(今の松山大)の西門を出たところにあった学生相談所で紹介してもらった、襟裳岬でのコンブ漁のアルバイトに応募しました。行きの交通費と滞在中の日当が出ます。漁師さんの家に住み込みなので、体一つあれば貯熊本県の阿蘇・草千里。バイクの後部両側のサイドバックやタンクバックなどにテントや寝袋、マット、登山用ガスコンロ、着替え、地図などを詰め込んで走る(1987年8月11日)
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