愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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63Ehime University Faculty of Law and Letters 50th金がなくても北海道に行け、ほとんど金を使わずにバイト代が稼げる、貧乏学生には夢のような話でした。体はきつかったのですが、1か月頑張って12~13万円になったと記憶しています。帰りは国鉄(当時)の「青春18きっぷ」を使い、富士山頂にも登りました。 3年目は頑張って旅費を貯めバイクで九州一周、4年目は本州一周を敢行し、沖縄以外の全都道府県を制覇しました。阿蘇の草千里で放し飼いの馬がテントの傍まで寄ってきて怖かったこと、長崎での精霊流し、名護屋城の高台から偶然見た花火、福井で迷い込んできた子犬とテントで一緒に寝たこと、燕三条(新潟)の新幹線の駅で晩飯を炊いていて駅員に注意されたこと、秋田ではみ出し禁止の交通切符を切られ落ち込んだこと、下北半島の山の中で大雨に降られて心細かったことなど、今でも思い出します。 沖縄へは卒業後、鹿児島からフェリーで渡りました。7日間のうち行き帰りに4日を費やす効率の悪い旅でしたが、バイクで全都道府県を回るという目標は達成できました。沖縄本島北端の辺戸岬で見た天の川は最高に綺麗でした。同窓会活動 卒業後、しばらく大学に行く機会もなかったのですが、仕事のお客様が同窓会の仙波太郎会長(当時)で、たまたま担当になった私が卒業生だったことから、半ば強引に同窓会活動に引っ張り込まれました。しかも副会長という大役。40代前半で理事経験もない若造がいきなり三役で入ってきたのですから、当時の理事の方々は面食らったと思います。 できることからと同窓会報の編集に携わり、新しく始まった提供講座「社会と人間」の講師の人選をお手伝いしました。私自身も「出版・メディア業界で働く」というテーマで非常勤講師を務めました。 副会長を3年務めた後、事務局長に就きました。事務局長というのは扇の要のポジションで、ほぼ全ての行事に関わります。戸惑いながらも6年間務め、現在は一般理事・事務局員として、微力ながら裏方をさせてもらっています。 偶然から始まった法文学部との縁ですが、同窓会との関わりは人生に幅を持たせてくれました。支部活動や会報の制作、提供講座のお世話をして感じることは、卒業生がさまざまな分野で活躍されているということです。以前いっしょに仕事をした人が、実は同窓生だったということも何度もありました。また、卒業後の職業がほぼ決まっている教育学部や医学部などと違い、非常に多くの職種に人材を輩出していることが法文学部の特徴だと思います。その幅広さはおそらく全国の大学でも指折りなのではないでしょうか。 10年後の60周年にも同窓会の理事として関わっているかもしれません。70年、80年、そして100周年へと法文学部がますます発展していかれることを期待いたします。北海道・えりも町でのコンブ漁。船外機のついた船で沖に出て、岩にへばりついているコンブの根を鉤棒(写真左)で絡めて取る原始的な漁。学生アルバイトは危険な船には乗らず、取ったコンブを浜に並べて干す。5m以上あるコンブは水を含んでいるため、とても重たい(1986年7月10日~8月9日)マツヤマお城下リレーマラソンに法文同窓会チームで出走。お揃いのTシャツを作り7名で襷を繋いで42.195kmを走り切った。この年から毎年参加している(2015年10月10日)

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