愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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72第2部 法文学部の思い出 卒業生の声法文学部経済学科での4年間1998(平成10)年 経済学科卒 土井 明人 先日、実家の奥深くにしまってあった「愛媛大学入学記念アルバム」を引っ張り出して久しぶりに開いてみました。そこに載っているのは今見ると気恥ずかしくなるような写真の数々。ビミョーな色合いのネクタイを不器用に締めた入学式での自分の姿やハリボテ大会の様子、クラスの面々による寄せ書きや集合写真など、ページをめくる毎に当時の記憶が蘇ってくるようでした。もうあの学生時代から20年以上が経過したのかと思うと、その速さには驚きを禁じ得ません。 愛媛大学法文学部経済学科に入学したのは1994(平成6)年4月。世間は携帯電話・インターネットの普及前夜であり、ごく一部の友人がポケベルを持っている時代でした。また当時はいわゆるバブル経済の崩壊後ということもあって、誰もが先行きに漠然とした不安を感じていたように思います。 大学生活で実感したのは「大幅な自由を与えられるが、それと同時に自己責任も併せ持つ」ということでした。講義の選択をはじめ、サークル活動やアルバイト・私生活に関しても高校時代とは比較にならない自由を得たと同時に、その行動の結果は全て自らに跳ね返ってくるわけで、選択ミスにより自らの甘さを痛感させられることも多々ありました。 入学直後のビッグイベントは愛大恒例の「ハリボテ大会」でした。毎晩遅くまで学内に残り、共同でハリボテを作製するうちにクラスの一体感も醸成されていきました。連日の作業を経て我が経済学科後半クラスが苦心の末に完成させたのは、「マサオくんがJリーグカレーを食べたらラモス瑠偉に変身し、さらにラモスがモスラになり、最後は全員が回りでモスラの踊りを踊る」という、当時のCMを下敷きにしたシュールさ漂うもの。もっとも当日は生憎の雨のためモスラの踊りは割愛され、私は内心胸を撫で下ろしたのでした。 サークルは入学以前に先輩から話を聞き、「バル・ブランシュ」に入会すると決めていました。当時の所属人数が100名を越える大所帯のテニスサークルはテニスも飲み会も真剣・盛大に行う団体でした。2回生の秋から1年間は会長を務めましたが、そこで学んだのは組織のマネジメントの大変さだったと思います。 それを実感したイベントの一つが秋の学生祭。商売など完全に素人の自分がおでん・フランクフルト・りんご飴・マドレーヌなど多くのメニューを揃えて90名近いスタッフを指揮し、その学祭期間中に上げた利益から先輩を含めた130人分の打ち上げ費用を捻出せねばならず、心身ともにパンクしてしまいそうな状況でした。それでも仲間の助けもあって何とか乗り切れたことは商売を生業とする自分の原点だったと言えるかもしれません。 とかくテニスサークルというと「チャラい」と思われがちですが、メンバーがサークルに求めるものは千差万別であり、そんな中でサークルの方向性を定めて運営していくことは体育会系のそれと比べても意外に難しいもの。それだ

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