愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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83Ehime University Faculty of Law and Letters 50thの大所帯となった。 平成23年3月定年を迎えるまで、私は16年間法文学部に在職した。前半の8年間には法文学研究科(大学院)の設置もあり、教育・研究の専念に勤めたが、急増した教員間がぎくしゃくして落ち着くにはしばらく時間がかかった。転機が訪れたのは、愛媛大学が独立法人化した平成16年だった。時の小松正幸学長が文系学部の強化を計り、学内措置として法文学部の教員組織を人文学科教授会と総合政策学科教授会に分け、学部長をそれぞれに置くという大胆な提案を出したのである。法文学部はこの提案を喜んで受け入れ、学長のリーダーシッブのおかげで全学の了承も得られ、この措置は翌年4月に実現した。 この組織替えによって学科の結束力が増したのは言うまでも無かったが、私にとっては思いも寄らぬ展開になった。学科長だった私が新学部長に選出され、平成17年から人文系担当学部長を4年間、1年おきの代表法文学部長を2回兼任することになったからである。まず組織作りのために副学部長と学部長補佐を複数置いて学部長室に運営協議会を立ち上げ、将来計画委員会を始め各種の委員会を整えて学科の運営を強固なものにし、独法化とともに始まった大学のさまざまな取り組みに対応させた。大学の予算減に対抗する学長裁量経費とそれに合わせて設けた人文系担当学部長裁量経費は、教員の研究を活性化し、年々の成果は科研費獲得にも結びついた。一方学長から出された学科の新たな教育計画については、40歳代の教員を中心にした新教育構想ワーキングを設置し、またもや新たな独自の教育プランを目指したのである。 こうして始まった国立大学法人化による中期目標や年次計画つくり、個人評価実績等々に追われる中、教育改革、研究活動、学生指導に対する人文学科の取り組みは、忙しくはあったが様々のチームワークを生み、次第に充実した時期を作り出した思いがする。例えば、法文学部同窓会の協力による「提供講座」の設置や、専攻コースに副専攻型プログラムを組み合わせた新しい教育への学科改変、両学科にまたがる特別コース「観光まちづくりコース」の設置。あるいは新潟大学人文学部と愛媛大学法文学部(人文学科)の間の学術交流協定による研究会の発足や、内子町と人文学科との連携による「気軽に文化講座 in 内子」の発足などがある。そして考古学の村上恭通教授をセンター長に大学に設置された「東アジア古代鉄文化研究センター」は実によろこばしいことであろう。 役職を離れてから最後の2年間は、法文学部本館8階の研究室で一教師の生活に戻った。いろいろあったがともかく、私にとって大学卒業50年の今年が、法文学部創立50周年の年なのである。この区切りの良い年が、更なる法文学部の50年を目指し、愛媛大学の創立100年に向かう一歩であって欲しい。

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