愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
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86第2部 法文学部の思い出 元教員の声 わたしが愛媛大学に赴任してきたのは、昭和の最後の年であった。その翌年の正月明けに平成の世に代わり、もうすぐ元号が変わろうとするいま、30年を経過したことを改めて想う。 縁があって、愛大助教授として着任が決まって法文学部法学科に所属してから西洋法制史の講義を開始するまでしばらく時間があったので、当時刊行され始めた筑摩書房「ちくま文庫」の『漱石全集』をすべて読み返す機会があった。東京の同輩たちからは松山、道後への赴任はずいぶんうらやましがられたが、こっちにやってきてからマドンナを探せというふうできょろきょろしていた。そのようなおひとは結構近くにいて、のちに同僚の奥さんになられた。 さらに四国、松山、瀬戸内島嶼部は初めての地であり、学部学生時代にはアウトドア派で信州、伊豆半島、伊豆諸島など、簡易テントを担いでめぐった者としては、とりわけ瀬戸内の島々に関心があって、各島の市役所、町村役場が編集したチクマ秀版社「チクマ離島シリーズ」の『瀬戸内海の島』を全部買った。いつかは島ルートを踏破したいと思っていた。まあ、何でもかんでもまずは文字から入るという性格はいまだに変わらないでいる。 はじめ東長戸の宿舎に入り、そのあと岩崎町に移り、いま南持田に住む。酔っぱらってしまい宿舎の風呂の湯をぐつぐつと煮えたぎらせ壊してしまったことがある。帰り道自転車でひっくり返り7針縫ったりもした。 法文学部は文理学部が前身で旧制高校の系譜を受け継ぐことは知っていて、むかしから明治・大正時代の教育には関心を寄せていたので、旧制松山高等学校と縁ができたことはうれしかった。ずっとあと法文学部長として同窓会とかの集まりに呼んでいただいたときに、松高卒業生にお会いできたことや寮歌を拝聴したことも大変うれしかった。後年研究の一環として朝日新聞社『週刊朝日編青春風土記 旧制高校物語』を手にする機会があって、松山高等学校の記事には往時の松高生たちの思い入れを感じつつ読んだものだ。 わたしがラテン語史料とか西洋法史やローマ法をつうじて40年以上とり組んできた西洋を定年退職のちょっと前に外れて、しめくくりとしてヨーロッパ法の近代日本への影響という視点から日本私法学の歴史をたどるという研究をしたとき、明治・大正の教育制度を調べたいという思いの動機にもなった。 法文学部は改組を重ねてきたが経済学部、文学部ともいうべき規模の学科とつねに一緒だったので行動を共にすることがあり、学部長のときのあいさつにはちょっとしゃれたことをと思い、なにを盛り込もうかと困った。 研究生活ではひとより一倍半とか二倍とかというのも所詮実現はむつかしいので、時間縁あって法文学部 愛媛大学名誉教授・元法文学部長 西村 隆誉志

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