愛媛大学法文学部 創立50周年記念誌
87/192

87Ehime University Faculty of Law and Letters 50thをかけるという方向でやろうと思い、家を近くに持ったから毎日大学研究室に行って充分粘ってから帰るということをくり返した。そのため松山市内や近郊のことをよく知らないまま時は過ぎ去っていった。 いまそれをちょっと悔いて、またしても自転車でだが、ほぼ1、2時間ていど街並みを散策するのを日課としている。江戸時代の三卿清水家用人村尾某が休みを利用して70を超えても近郊を歩き回ったというような元気はない。あまり余裕が持てなくて時間の過ごし方が偏っていたが、いまは朝からちょっとした庭いじりを日課として楽しんでいるところだ。 つらつらと想起するまま法文学部の思い出とも言えませんが、愛大赴任以来の思い出をたどってきました。 法文学部創設50年、まことにおめでとうございます。ここではその歴史を振り返ろうとする企画だろうと存じますので、それに照らし合わせますと、ちょうどわたしの所属したのは法学科、経済学科、文学科の3学科体制時代の法学科、のち総合政策学科、人文学科の2学科体制時代の総合政策学科でした。退職後3年を経ていますから、非常勤講師をも含めて後半の30年ほどお世話になったことになります。 学科長だか連絡員のとき本館から現在の総合研究棟2に移転するということになり、旧工学部棟の改修をどの程度やれるものか、実質上6講座あった各講座にどのように配置し、配分をすればいいか考えていただきました。本館の大部分は人文学科、総合研究棟2全部の階が総合政策学科のものになると思ったのですが、ちょっと見通しが甘く、3、4階分にとどまったのは残念なことでした。 現在学部は人文社会学科1学科体制に改組されていて総合研究棟2は社会共創学部と法文学部とで共用だそうですが、愛媛大学創立のころ文理学部時代を経験され研究室を転々とされたことのある先輩の諸先生方からみればたいしたことではないかもしれません。この30年間、時代とともにゆったりと、ひとの思いによっては激しく、変化を遂げてきたと感じています。わたしとしましてはいまも、変化は前に進んでいくことの表れだと思っております。

元のページ  ../index.html#87

このブックを見る