水野卓「春秋史に寄与する『左伝』の史料学的研究-「君主の称謂」を手がかりとして-」(基盤研究(C)、研究代表者、2021~2023年度)
もし自分が歴史家だとしたら、歴史上の出来事をどのように書き記すのだろうか。特に、自分が仕えている国から、自国の「歴史書」を作成する依頼が来たとしたら、どのように自分の国で起きた様々な出来事を記録するのだろう。
これが私の研究テーマの出発点である。私の専門は中国古代史。なかでも紀元前8世紀~紀元前5世紀までの「春秋時代」の歴史(春秋史)を研究している。歴史の研究には「史料」の存在が不可欠であり、春秋史研究においては、『春秋左氏伝』(『左伝』)と呼ばれる書物が基本史料として用いられている。『左伝』は五経の1つである『春秋』の“伝”とされる。『春秋』の文章は簡潔であるため、多くの注釈書(伝)が作られ、その1つが『左伝』というわけである。この『左伝』が春秋時代の歴史を“確実”に描いているのであれば問題はない。しかし、『左伝』は後の時代にでっち上げられたという「偽作説」が一時期持ち上げられた。もし偽作だとすると、『左伝』は春秋史研究の史料としては信頼できないものとなる。
そこで、私は『左伝』の“素材”つまり元となる資料の部分に注目した。“素材”の部分が春秋時代の各国で記録されたものであるなら、編纂された時期がいつであろうとも、春秋時代の歴史を同時代的に描いており、『左伝』は春秋史を研究する史料としてかなり信頼できるものと考えたのである。
その“素材”を探るために、私が着目したのが『左伝』の記事にみられる「君主の称謂」である。例えば、『春秋』という歴史書は、魯という国の年代記がもとになっていると言われている。『春秋』において、魯の君主は「公」と記され、他国の君主は「国号+爵号」(例:晋侯=「晋」という国の「侯」という爵位を持つ君主)で記される。自国(魯)の君主だからこそ、「公」と記すだけで十分であり、一方、自国(魯)以外の国の君主を表すためには、他国であることを示す「国号」を付ける必要がある。この“法則”を『左伝』に援用すれば、「君主の称謂」の分析から、『左伝』の各記事が、どこの国の歴史書を“素材”としているかが明らかになるのではないか。そのような想定のもと、『左伝』の史料学的な研究に取り組み、『左伝』が春秋史研究にとって頼るべき史料であることを示したいと考えている。