鈴木靜「家族をケアしながら学ぶ若者の困窮――ヤングケアラーを取り巻く現代的課題」

鈴木靜「家族をケアしながら学ぶ若者の困窮――ヤングケアラーを取り巻く現代的課題」
法学セミナー829号、2024年、4―9頁
https://www.nippyo.co.jp/shop/magazine/9189.html

■特集「若者の困窮」
 本稿は、法学部生向けの専門雑誌「法学セミナー」2024年2月号に掲載されたものである。「若者の困窮」を特集テーマに、他大学の労働法や社会保障法、社会福祉学の研究者6人と取り組んだ成果である。
 そもそも「若者の困窮」をなぜ考えるのか。若者という言葉からは、清新なエネルギーにあふれ、可能性に満ちた年代の人たちを思い浮かべる。これからなんでも成し遂げることができる、しかし、まだ何も成し遂げられていない、そういう意味で、若者というのは可能性とともに不確実性に満ちた人生の時期である。この特集では、そうした若者の困窮をとりあげている。それはなぜかというと、このコロナ禍で学生が、食糧支援に列をなして並ぶという事態に象徴されるように、アルバイトが減少し、あるいは仕送りがなくなる中で生活困窮に陥る者が顕在化したからである。もちろん学生だけが若者ではないが、体力に恵まれ、可能性にあふれているはずの若者が生活困窮や様々な困難に直面する状況が顕在化してきていることが、まず、本テーマを取り上げる理由である。このかん、ILOなど世界的に「脆弱な階層(vulnerable group)」の1つとして「若者(youth)」をとらえて、社会的支援の体制を整備しようとする動きが定着してきている。
 しかし日本では、児童福祉法は、児童を「18歳に満たない者」と定義しているが、例えば子ども・若者育成支援推進法には、「若者」の厳密な定義はなく、「子ども・若者」への支援という形でほぼ「子ども」とあわせて若者を取り扱っている。確かに、これまでの社会的な保護や支援の対象としては、児童(子ども)、あるいは高齢者(老人)が取り上げられることがほとんどで、若者を取り立てて社会的保護と支援の対象として論じることが少なかった、あるいはほとんどなかったといえる。私たちの住んでいる社会を、すでに自立した成人が構成する社会とみて、あとは特に保護を必要とする子どもや高齢者から構成されると考えているからである。しかしこの社会を、次世代を産み育て、社会的能力を付与していくという「社会自体の社会的再生産」を継続していかなければ存続しえない存在としてとらえる「ケアの視点」から考えると、人は、保護の対象から、自立した成人(社会的自意識と社会的活動能力を獲得し、そして社会的認知を受けた存在)に一挙に変化するのではなく、「移行期」が決定的に重要であることに気づく。つまり「保護と自立」の間の「移行」がスムースに実現するように支えることが社会的にきわめて重要である、ということである。
 本特集は、まず、若者の困窮の一端を具体的にとらえて、「若者の困窮」の現状を確認しよう考えている。そのうえで、制度上の問題と今後の課題を指摘している(木下秀雄「いま、若者の権利を考える-企画趣旨にかえて」)。

■ヤングケアラーを取り巻く現代的課題
 本稿は、この問題意識のもとで、各論としての1本目に位置づけられている。「家族をケアしながら学ぶ若者の困窮―ヤングケアラーを取り巻く現代的課題」と題し、介護を行う人の困難の中で「発見」されたヤングケアラーの問題を取り扱っている。日本におけるヤングアラーのおかれた現状と自治体の支援体制の整備や課題を確認した後、今後の政策がどうあるべきかを検討している。
今後のヤングケアラーに関する政策を考えるために、以下の2点を指摘した。1つめは、ヤングケアラーである若者をどのように社会で支え、自立していく過程を保障するかの観点でこの問題をとらえることである。2つめは、ケア役割をになうことが貧困と大きく関連することから、介護保険制度や障害者福祉、生活保護制度などの社会保障制度を、若者にとって利用しやすいように見直すことである。
 本特集の各論では、他に「大学生と生活保護」(嶋田佳広)、「障害とともに生きる家族と子ども・若者」(矢嶋里絵)、「不利の連鎖を断ち切れるか―ひとり親家庭の福祉法政策」(金川めぐみ)、「家族を前提にできない子どもたち―社会的養護」(根岸弓)、「『仕事ガチャ』をどうする?-若者の働き方と労働法」(丸山亜子)が掲載されており、どれも現代的課題である。ぜひご一読いただきたい。

※鈴木教員のその他の研究業績についてはresearchmapをご参照ください。
https://researchmap.jp/read0070805