幸泉満夫『対馬暖流をめぐる先史時代の土器文化』
本書は、「対馬暖流ベルト地帯」の実態解明を目的としたシリーズの第一弾です(写真1:2024年1月15日刊行、単著、B5判上製カバー装、本文576頁、全4部計12章構成)。縄文時代後半(縄文中期末葉~縄文晩期終末期)併行期の土器群、なかでも、従来学界で注目されることのなかった「文様のない縄文土器」(著者が提唱する韓半島南部の「無文様系土器」と、日本列島の「無文系土器」)に焦点を当てています。
第Ⅰ部は、本書の目的や学史的背景、分析のための前提条件等について纏めています。
第Ⅰ部第1章では「対馬暖流ベルト地帯」、「無文系土器」といった、本書のキーワードとなる用語に対する定義付けを行うとともに、同ベルト地帯に関する地理的環境や歴史上の特殊性について説きました。そのうえで、本書全体の構成について解説しています。
第Ⅰ部第2章では、日本考古学史上初となる「無文系土器群」に焦点を絞った学史整理を行いました。主に4つの論点(「編年至上主義の功罪」、「精・粗製論」、「御領式と西日本の土器無文化現象」、「文様のない縄文土器(無文系土器)論」)から研究の現状と課題点について論ずることで、本書における論点を7つに整理しています。
さらに第Ⅰ部第3章では、分析の前提として、西日本全域に対する小地域圏の設定(18区58小地域圏)と、その背景となる認知考古学的概念について整理したのち、本書で対象とする無文系土器群に対する各種の属性分類基準、合計28段階に及ぶ統一編年基準の設定(韓半島南部:K-Stage47~74、日本列島:J-Stage1~28)、ならびに、それら各期に対する解説を加えました。
第Ⅱ部では、「対馬暖流ベルト地帯」各段階の様相理解を目的に、日本海西部沿岸に沿う4つのエリア(第1章:韓半島東南部、第2章:北部九州沿岸域、第3章:山陰中部、第4章:北陸西部)の考察を進めています。本書構想にあたり、最も多くの歳月を要した主翼部分の成果となります。
さらに第Ⅲ部では、比較対象として、「対馬暖流ベルト地帯」の周縁部に焦点を当てました。具体的には「環瀬戸内海沿岸域」に属する西部瀬戸内(愛媛~広島、山口の瀬戸内沿岸域)と東部瀬戸内(大阪~兵庫南部の瀬戸内沿岸域)、太平洋岸の「黒潮暖流ベルト地帯」に属する東南四国(徳島県周辺)~南四国(高知県周辺)域を対象としています。先の第Ⅱ部で明らかとなった無文主体圏、すなわち対馬暖流ベルト地帯に対して、その周縁部における無文系の態様や、在地系土器群との関係解明を目的としました。
第Ⅳ部では全ての研究成果を総括し、その意義を纏めています。
第Ⅳ部第1章では、上記土器群を中心とする文様系統組成の変遷を、西日本レベルで時期別、地方別に整理し、総括した結果、「対馬暖流ベルト地帯」の輪郭と、一貫して「無文系」土器群が卓越するという未知の土器文化帯の存在を明らかにすることができました。
終章となる第Ⅳ部第2章では、以上の成果を受けた今後の課題と、展望について論じています。そもそも、本書で主眼に据えてきた“土器の無文化”には、いったいどのような意味が潜在していたのでしょう。本書では、 最後に“死者の棺”を例に、土器施文意識の根底に焦点を向けることで、「対馬暖流ベルト地帯」内部に“無文”を尊ぶ独自の死後世界観が存していたと推認しました。そのうえで、土器無文化へ至る背景として、縄文時代的なアニミズムや精霊崇拝思想からの脱却や、併行期における東アジア、特に韓半島における新石器時代後半~青銅器時代と連動した新たな土器文化観の萌芽、ならびに、西日本における土器(日用什器)観を大転換させるほどの原動力が同地帯には潜在していたと結論付けたのです。
従来、西日本縄文文化の特質とまで謳われることの多かった“土器無文化現象”の解釈をめぐっては、長らく有文諸系統の文様、つまりは施文意識が徐々に衰退し、簡素化されていくといった型式組列上の表層的な理解のみに留まってきたわけですが、本書の成果を受けて、そうした従前の評価や展望(世界観)のみでは理解が不充分であったことを、多くの読者に納得いただけたことでしょう。
以上、本書では「文様のない縄文土器」(韓国「無文様系土器」と、日本列島の「無文系土器」)を中心とした文様系統組成の変遷を西日本レベルで時期別、地方別に整理し、総括した結果、「対馬暖流ベルト地帯」の輪郭と、「無文系」土器群が卓越するという特殊な土器文化地帯の存在を明らかにすることができました。なかでも、「対馬暖流ベルト地帯」を介した韓半島南部と日本列島側の日本海西部沿岸地帯との関係解明は、これまでにない斬新な学術成果であったといえるでしょう。弥生土器文化の成立以前、両エリアでのみ約二千年もの間、“無文同士”という土器製作上の類似性をはじめて、明確にできたからです。さらに“無文”という施文意識を共有し続けた間、互いのプライオリティーや自主性については維持され続けていたという点も見逃せないはずです。何故なら、常に一定の距離感を保ちつつも、情報交流は途絶させないという、穏やかで、多少ファジーな互恵的関係の継続性を、同地帯の存在は意味していたからです。
こうした新たな土器文化帯の発見は、先史、原史における両国間の関係を考究していくうえでも、今後看過できない成果として評価されていくことでしょう。事実、本書発刊後の2024年3月には早速、同地帯の中核に位置する島根県大田市の五丁遺跡では、縄文後期末~晩期初頭(著者のJ-Stage18~19中相)に属するイネ籾圧痕土器の存在が認識されています(『島根考古学会誌』第41集参照)。わが国における弥生土器文化の開始期問題をめぐっても、以降、一定の見直しが議論されはじめるものと期待してよいでしょう。
なお本書の刊行にあたっては、令和五年度愛媛大学法文学部戦略経費:出版助成の支援(1,000千円)を受けています。
※幸泉教員のその他の研究業績についてはresearchmapをご参照ください。
https://researchmap.jp/0884229115mz