さ行

齊藤 貴弘教授

さいとう たかひろ / SAITO Takahiro

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専門分野:西洋史

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教員からのメッセージ
 こんにちは。古代ギリシアというとどんなイメージを描かれるでしょうか。地中海を舞台に都市国家〔ポリス〕という幾つもの小さな共同体を基盤としてギリシア文明は展開しました。その代表的ポリス,アテナイ(現アテネ)のアクロポリスには今も壮麗なパルテノン神殿が建っています。この神殿は,「民主政」アテナイ黄金期の作品です。しかし,この時代のアテナイは海軍力を背景に同朋ギリシア人を強圧的に支配していました。「自由・平等」の代名詞「民主政」と「支配」は矛盾なく有機的にアテナイの絶頂期を形成していたのです。
 アテナイ直接民主政は,いわば素人政治であり,「奴隷」の存在を筆頭に社会構造も大きく異なります。ですから,現代の「民主政」〔デモクラシー〕とアテナイの「民主政」〔デモクラティア〕は,ある意味,全然違う。しかし,起源として―西洋文明の源流として―深いところで繋がっています。
 もう一つ,古代ギリシアは多神教の世界であり,ここに「宗教」と「政治」の興味深い出発点があります。両者の折り合いのつけ方は,グローバル社会における私たちの課題です。また,「支配」と「奴隷」も今日でも生活圏に差し迫る問題ではないでしょうか。私たちは,今も「古代ギリシア」を乗り越えてはいないのです。
 ところで,瀬戸内海とエーゲ海は多島海〔アーキペラゴ〕であり,アクロポリスのような松山城,身近な港,都市部の規模,なんだか松山はポリスと似ています。宗教面でも日本人と古代ギリシア人には類縁性を感じます。言うまでもなく,四国はそういう面でも恵まれています。「身近で遠い他者」である古代ギリシアをこの地域の独自性に根ざして学び,発信していくことは,とても魅力あることではないでしょうか。皆さんと「古代ギリシア」から学びの喜びと発見を分かち合っていけたらと思います。

坂口 周輔講師

さかぐちしゅうすけ / SAKAGUCHI Shusuke

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専門分野:フランス言語文化

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教員からのメッセージ
 一篇の詩を読んで心を揺さぶる言葉に出会うこと、一枚の絵の前に佇んでその色彩の強烈さに目を奪われること、一本の映画を鑑賞したあと心地よい疲労感を伴って映画館の外に出ること、あるいはまた一曲音楽を聴いて恍惚感に浸ること。この種の経験ほど贅沢で幸福で人間的なものはないと個人的には強く思うのですが、大学での私の役目は、こんな体験を学生のみなさんができるようお力添えをすることです。言わばみなさんのガイド役を務めるということなので、試しにここでちょっとした小旅行にお連れしましょう。
 私の好きな中原中也の詩「悲しき朝」の冒頭は次のように始まります。「河瀬の音が山に来る、/春の光は、石のやうだ。筧(かけひ)の水は、物語る/白髪の嫗(をうな)にさも肖(に)てる。」字余りあれど五七五のリズムを基調としつつ、驚くべきイメージを私たちに見せつけてきます。これは22歳以前に書かれたものらしく、中也の早熟ぶりには目を見張るばかりですが、その中也に強い影響を及ぼしたのはフランスの早熟詩人アルチュール・ランボーでした。中也はフランス語を勉強し自分でランボーの詩を訳しています。一つ彼の訳した詩句を引用しましょう。「また見付かつた。/何がだ? 永遠。/去つてしまつた海のことさあ/太陽もろとも去つてしまつた。」ロマンチックであるとともに、「何が」と問い「永遠。」とだけ答えるシンプルさがかっこよく響く詩句です。これを原文で読んでみるとさらに味わい深くなります。« Elle est retrouvée. /Quoi ? – L’Éternité./C'est la mer allée/Avec le soleil. » どう読めるのでしょうか。気になる人はぜひフランス語やフランス言語文化の授業を受けてみてください。さて、今引用したランボーの詩句を大変効果的に用いているのが、フランス映画「気狂いピエロ」です。これを監督したジャン=リュック・ゴダールは最近亡くなってしまいましたが、この作品はずっと生き続けるでしょう。ランボーの詩が引用されたラストシーンはあまりに衝撃的で忘れることはできません。そういえば、蛇足ですが、先日ある展覧会でフランスの画家アンリ・マティスの作品を見て、そこでの激しい色使いがゴダールの映画を髣髴とさせるところがあり、ゴダールはマティスが好きだったのかなと何となく思ったのでした。
 以上、さりげなくフランス文化へと誘導してしまったのは、私がフランス文学を専門としているからです。世界は広いです。人でも、作品でも、あるいは風景でも、自分を揺さぶるほどの何かに出会うため、一歩外に足を踏み出してみませんか。その際にフランス語、フランス文化から始めるのも悪くないと思います。

笹田 朋孝准教授

ささだ ともたか / SASADA Tomotaka

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専門分野:考古学

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教員からのメッセージ
 考古学は、遺跡の発掘調査を行ない、検出された遺構や出土した遺物(土器や石器など)から過去の人々の文化や歴史を研究する学問です。ざっくり言えば、「モノから過去のことを考える」学問です。わたしはこれまで“鉄”が文化や社会にどのような影響を与えてきたのかについて、考古学の手法を主に用いて研究してきました。現在の主なフィールドはモンゴルです。若い頃にはシベリアの森林地帯、江戸遺跡、沖縄のグスク、北海道のチャシなどの様々な遺跡の調査に参加してきました。最近では幕末の産業革命遺跡の調査にも関わっています。
 考古学では発掘調査をはじめとして、他の文系の学問とは異なる技術や知識が必要とされます。そのため私の研究室では春に古墳の測量調査、夏季休暇中に愛媛県内の遺跡の発掘調査を行なっています。地域の人々とともに、教科書に掲載されていない地域独自の歴史や文化を”文字通り”掘り起こしています。その調査成果は発掘報告書や研究室シンポジウムなどで広く学会へ発信するとともに、現地説明会や報告会、あるいは特別展などで地域の方々へと還元しています。またモンゴルの発掘調査に学生も一緒に参加することもあります。卒業生たちは、愛媛県教育委員会をはじめとして、市町村の文化財担当の専門職員や博物館の学芸員として活躍しています。
 考古学はフィールドの学問ですので、体と頭を両方使って研究することになります。屋外の調査はそれなりに大変ですが、普段の生活では味わうことのできない貴重な体験を積むことができます。自分の脚で遺跡を巡り、自分の手で過去の歴史を掘り起こすことに興味のある学生は授業を履修するなど、ぜひ考古学の世界に足を踏み入れてみてください。


笹沼 朋子講師

ささぬま ともこ / SASANUMA Tomoko

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専門分野:労働法

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教員からのメッセージ
 最近では,ブラック企業とかブラックバイトなどという言葉も流行るようになりました。学生さんの中には,「ブラック企業に就職してしまったらどうしよう」というような不安を抱く人も増えました。労働法という法律は,そんな不安を抱く労働者の権利を保障して,なるべく快適に働くことができるように社会を変えていくために作られました。
 けれども,労働者を守るために,国家あるいは政府が,心優しくもそんな法律を用意してくれたわけではありません。また,法律があるからといって,わたしたちの職業生活が安定していて,幸せだということもありません。労働法は,労働者自身が闘い,権利を勝ち取って,その結果として生まれ,育っている制度なのです。労働者が少しでも甘い顔をして,闘うことを忘れたら,保障された権利はちりぢりと霧散してしまうでしょう。
 では,労働者は,何と闘うのでしょう。何と闘い続けて,権利保障を守るのでしょうか。政策を練り,法律を作り,それを実施する国家でしょうか?自分たちにとって都合の良い政策や法律を作るよう画策する強大な経営者団体でしょうか?あるいは,自分が就職している会社や,自分の上司でしょうか?あるいは,「上司のいうことに逆らってはいけない」という世間の常識でしょうか?
 おそらく,労働者は自分の権利を守るために,そのすべてと闘い続けています。けれども,最も厳しい闘いは,「こんなことを言ったら,会社に居づらくなってしまうのではないか」と尻込みをする自分自身の心の葛藤ではないかと思います。大学では,ぜひ,その自分自身の心の弱さについて,研究し,学んでください。そして,それを克服するためにすべきことを考えてください。労働法は,労働者のために必要な法律関係の知識であり,この知識によって,ブラック企業が,あるいは日本の企業が,いかに違法な行為を行っているかを知ることができるでしょう。けれども,その知識を活かして,自分自身の職業生活を快適なものに変えていくためには,自分自身の心の弱さや醜さと向き合い,自分自身を改革していく勇気を養っていかなければなりません。大学というところは,そういう自分が生きていくための,勇気と智恵を養う場であり,それが大学で学ぶ労働法です。

清水 涼介講師

しみず りょうすけ / SHIMIZU Ryosuke

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専門分野:金融論

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教員からのメッセージ
 経済学と聞くと何をイメージするでしょうか?人によっては、お金儲けについて考えるものと思うかもしれません。しかし、それは経済学のある側面のみを見ているだけです。経済学は、社会に存在する希少な資源や財(商品)が誰に、どのように、どれだけいきわたるのかを体系的に理論やデータを用いて考えるものになります。
 その際、消費者、労働者、企業、政府といった経済主体が、どのように意思決定を行うか、どのようなシステムに基づいて取引を行うか、どのような取引の結果になるのかを扱います。このため、経済活動全般について考えます。
 私は、経済学の一分野であるマクロ経済学を専門としています。「マクロ」、つまり巨視的な視点で経済を捉えることになります。例えば、日本の平均的な所得はどのように決まるのか?所得はどのような要因で増減するのか?といった経済全体を捉える視点になります。その中で特に、国際的な金融取引を通じた、それぞれの経済の相互関係を研究テーマにしています。例えば、近年では国際的な経済のつながり強くなっている環境です。2007年のリーマンショックを端に発した国際金融危機は、アメリカで起きた金融危機の影響が様々な国に波及し、他の国の金融危機を招く要因の一つになります。この時、どのような経路を通じてアメリカの影響が他国に影響を与えるのか、どの程度与えるのかといったことが分析されていると、金融危機の波及を防ぐ有効な政策についての示唆を与えることができます。このように、金融市場を通じた国際波及効果の分析をテーマとしています。
 多くの人にとって大学生活は、自分の意思決定を行うことが多くなる初めての機会になると思います。これからの自分に何が必要で何をしなければならないのか、今自分がしたいことは何かを考えながら、長いようで短い学生生活を楽しんでもらえればと思います。

菅原 健志准教授

すがわら たけし / SUGAWARA Takeshi

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専門分野:国際関係論

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教員からのメッセージ
 私の専門はイギリス外交史で、特に日英同盟に対するイギリスの外交政策をイギリス帝国の防衛という観点から研究しています。日英同盟は日本とイギリスの二国間の同盟ですが、当時のイギリスが世界大に広がる帝国であったため、東アジアだけでなくヨーロッパ、アメリカ、インド、中東といった様々な国や地域の利害と密接に結びついていました。このような日英同盟のグローバルな側面を、主にイギリスの史料に基づいて解明することを研究テーマとしています。また私が授業で担当する国際関係論は、様々なアプローチから外交や国際政治について学ぶ科目であり、歴史だけでなく理論や時事問題の分析なども取り扱います。
 ところで、歴史を学ぶことについて皆さんはどのようなイメージを持っているでしょうか。中学や高校で受けた過去の授業を振り返って、「暗記ばかりでつまらない」と思うかもしれません。将来の就活や資格試験を考えて、「歴史を勉強しても役に立たない」と思うかもしれません。
私からお伝えしたいことは、まず大学で歴史を学ぶ際には、語呂合わせなどで無理やり暗記する必要はありません。むしろ重要なことは「何が問題となったのか」、そして「なぜそのような問題が生じたのか」を考えることです。おそらくそのように考えることは、歴史に限らず他の多くの分野でも必要とされるであろうと思います。
次に歴史が役立つかという点について、確かに就活や資格試験では役に立たないかもしれません。しかしこれからの人生で問題に直面してどうすべきか迷った時、歴史を学んだことが役に立つかもしれません。皆さんが今後直面する問題はそれぞれに固有の問題で、一つとして同じではありません。しかし歴史を学ぶと、異なる時代や場所で生きた人々が似たような問題で悩んでいたことに気付くと思います。その時、先人たちが何を考え、どのように行動したかは、皆さんが直面する問題への答えにはならなくてもヒントにはなると思います。
グローバル化などによって現代は非常に変化の激しい時代となりました。その結果、過去は時代遅れとして切り捨てられ、未来は予測不可能として敬遠されて、現在に没入しがちになっています。もちろん目の前の物事に精一杯取り組むことはとても重要です。ただ歴史を題材にして、過去を振り返り、未来について考えることができれば、それだけで歴史を学ぶことには意義があるかもしれないと考えています。

鈴木 靜教授

すずき しずか / SUZUKI Shizuka

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専門分野:社会保障法

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教員からのメッセージ
 人権としての社会保障の観点から,社会保障法学を研究しています。
 現代は,「当たり前に暮らす」ことが,ますます難しくなってきています。その背景には,仕事に就き,働き続けることが難しくなっていることもありますし,一人ひとりの生活を支える所得保障や医療,福祉サービスのあり方が,多様性をもつ私達の暮らし方にあっていないこともあるかもしれません。人々の生活実態はしっかり踏まえたうえで,法制度のあり方や政策が実施される際の問題点を,「法的に」考察し,今後の展望を考えていきます。社会保障は,私自身や家族の問題です。それ以上に,私や家族を超して社会のあり方を考え,新たな社会を創り出すための学問分野だといえます。たとえば,多くの人たちが,質の高い社会保障サービスを望みますが,「質の高さ」はどのように考えたらよいでしょうか。私は,「質の高さ」を決めるのは,自治体の責任,サービス提供者の専門性とともに「民主的手続き」が大事だと考えています。私たちが,自治体やサービス提供事業所に「お任せ」で良いサービスと望むだけでは,ニーズに合ったサービスにはなりませんし,社会保障制度についても無関心なままです。
 では「民主的」とはどういうことか。それ以前に,「当たり前に暮らす」の「当たり前」とは具体的にどういうことか。時代により,地域により,一人ひとりにとって,どういう意味を持ち機能するのか。国や時代により,同じではありません。その矛盾に敏感な年代のひとつは,学生である10代,20代の皆さんであると感じています。
 頭が柔軟で,フットワーク軽い学生こそ,さまざまな問題や価値観を考えることができます。社会保障分野での課題は,新しい時代を考えることが大事ですし,そのためには歴史を学ぶこと,理論を学ぶこととともに,生活の場で実際に困難を抱えている人たちの話を聞くこと,理解することが大事です。他者の話を聞くことは,大変ながらも「面白い」ことです。こういう人になりたい,と思うような大人に出会うことも多いです。それが大学教育,社会保障法学の学びの面白さだと思います。

関口 和徳准教授

せきぐち かずのり / SEKIGUCHI Kazunori

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専門分野:刑事訴訟法

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教員からのメッセージ
 刑事訴訟法は,日本の最高法規である日本国憲法,刑事訴訟法や刑事訴訟規則をはじめとする様々な法律・規則および判例の解釈などを通じて,刑事手続(刑事裁判)の実際を客観的に明らかにし,そこに存在する問題点を洗い出し,その上で,(時には,外国の法制度や判例なども参考にしつつ)刑事裁判のあるべき姿を考える学問領域です。
 刑事裁判における理想は,無実の者を処罰しないこと,すなわち,冤罪の悲劇を生まないことといえます。日本国憲法が被疑者・被告人の権利を手厚く保障していることや,「疑わしきは被告人の利益に」が刑事裁判の鉄則とされていることも,このことを裏付けています。ところが,冤罪の悲劇は一向に後を絶たないのが現状です。なぜ冤罪の悲劇が繰り返されるのか。冤罪の原因はどこにあるのか。どうすれば冤罪をなくすことができるのか。これらの点に最大の関心を払いつつ,研究を進めています。
 ところで,刑事訴訟法を学ぶことによって得られるものは,刑事裁判に関する知識だけではありません。
 まず,「刑事裁判はその国の文明のバロメーターである」といわれるように,刑事裁判はその国の本質(とりわけ,その国でどのくらい個人の人権が大切にされているか)を浮き彫りにします。刑事訴訟法を学ぶことは,日本という国の本質やそこに横たわる問題をより深く知ることにつながります。
 また,人間は予断・偏見に基づいて物事を判断してしまいがちです。犯罪事件の「犯人」逮捕のニュースを見て,「何て悪い奴だ。こんな奴は厳罰に処すべきだ。」といった感情を抱いたことはないでしょうか。誰もが抱くこうした素朴な感情にこそ,実は大きな落とし穴があります。なぜなら,逮捕されたというだけでは,その人物が本当に犯人なのかどうかはわからないからです。刑事裁判は,犯罪の疑いがかけられている人物が本当に犯人なのかどうかについて,その人物の権利を保障しつつ,証拠に基づいて丹念に確認し,真実を明らかにしていく手続です。刑事訴訟法を学ぶことは,予断や偏見を排し公正に物事を見極める眼を養うことにもつながるのです。 
 他にも,刑事訴訟法を学ぶことで得られるものは沢山あります。ぜひ一度,刑事訴訟法という窓から我々の生きる世界を眺めてみてください。そこには他の窓からは決して見ることのできない光景が広がっているはずです。

徐 敏徹講師

そ みんちょる / SEO Mincheol

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専門分野:言語学

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教員からのメッセージ
 皆さんは収集癖、ありますか。私は物に対する収集癖はありませんが、「言葉」に対する収集癖はあります。本や雑誌などを読んでいるうちに「言語学的に面白い」表現が見つかったら、それをパソコンやスマホのアプリを利用して書き写したり、ドラマや映画などを楽しむときにも「そんな言い方があるのか」と気づいたときには、何回も同じ部分を繰り返し再生して書き取ったりします。また、町中を歩きながら興味深い看板・広告などを見つけたときにも写真を撮って集めています。このような作業をしているうちに、似たような形式の表現が集まり、それが研究のネタになる場合もあります。
 ここで「言語学的に面白い」とはどういうことでしょうか。一例として「いちごいちごしてる」という表現があります。以前、ハーゲンダッツのCMで耳にしたのですが、この表現は基本的に「名詞+名詞+して(い)る」の形式で使い、「名詞」の位置には同じ名詞が2回繰り返されます。「いちごしてる」や「いちごいちごいちごしてる」のように、名詞を1回や3回言うのは不自然です。
 この表現に使われている名詞は、もちろん、「いちご」以外にもあります。電子化された大規模な言語資料である「コーパス」を利用して調べてみた結果、「いちご」の他に「芋・みかん・女の子・男の子・こども・親子・アメリカ・言語学」など、色々な名詞が使われていました。この表現の姉妹品として「肉肉しい・芋芋しい」があります。これらの表現は、どういう関係にあるのでしょうか。
 このように名詞を繰り返して用言を作る方法は、日本語にだけ見られる方法ではありません。私の母語である韓国語にも、このような言い方があります。「いちご」は韓国語で「ttalki」と言いますが、これを2回繰り返して「ttalki-ttalki-hata」、つまり、「いちご-いちご-している」と言うことができます。日本語と韓国語の例を見比べると「対照言語学的に面白い」ところを見つけることもできるでしょう。
 授業では、私たちが毎日当たり前のように話し、聞き、読み、書いている言葉を、言語学的に分析するとはどういうことなのか、また、どのような言語資源や道具を活用すれば「言語学言語学している研究」ができるのか、皆さんといっしょに考えてみたいと思っております。

十河 宏行教授

そごう ひろゆき / SOGO Hiroyuki

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専門分野:心理学

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教員からのメッセージ
 皆さんは「心理学の講義」と聞いてどういう内容を想像するでしょうか。私が担当する講義を受講生の皆さんのコメントカードでは毎年「想像していた内容と違う」という意見がたくさん寄せられます。このような食い違いが生じる原因のひとつは,心理学が「こころ」という私たちにとって身近でありながら謎に満ちた「何か」を扱うために,いわゆる「理系」分野を含めた幅広い学問分野の知見や手法を駆使するという点にあると思います。
「大学入学前には全然興味がなかったけど講義を受けてみたら意外な発見があった」といった経験は大学生活の醍醐味のひとつだと私は考えていますので,「想像と違う!」という受講生の皆さんの反応は悪いことではないと私は思っています。ただ,「心理学関連の資格を取得したい」,「カウンセリングのことを学びたい」といった明確な目的を持っている方は,大変だと思いますがそれぞれの大学で開講されている講義の内容や,取得できる資格を受験前によく確認してください。また,三年次編入で本学科を受験したいと思っている方も,「想像と違う!」となった後の軌道修正が難しいので,やはり自分が学びたいことと本学科で行われている講義の内容が合っているかしっかりと確認することを強くお勧めします。
 なお,私自身の専門分野は眼球運動の心理学です。私たちが物事を目で見て認識する際の眼球運動の役割やそのメカニズムに興味があります。また,人の目の動きを計測するための技術や,心理学実験を行うためのソフトウェアの開発にも興味を持っています。以下のwebページにて研究内容を紹介していますので,詳しくはそちらをご覧ください。
 十河研究室webページ:http://www.s12600.net/psy/