人間文化分野

山本 與志隆教授

やまもと よしたか / YAMAMOTO Yoshitaka

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専門分野:哲学

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教員からのメッセージ
 哲学は,古代ギリシア以来人間の知の根源を探求する学問として,我々が生きる世界と,その中の我々自身の存在について全体的かつ,根源的に考察してきました。そもそも哲学(philosophy,Philosophie)の語源がギリシア語の「知を愛し求めること(philosophia)」であったように,他の諸学問が「なにかのため」という実際的な目的を持つのに対して,哲学はそうした個別的な目的を持たず,専ら「知そのもの」を問い求めてきたということです。
 これは,現代の自然科学がテクノロジーと密接に結びつくことで実践的,実用的な知識を求めるのに対して,哲学が目指すのはそうした実践知とは異なる在り方をする,実用的な価値から切り離された「知そのもの」だということです。そしてこの「知そのもの」こそが他の全諸学問を根底において基礎づけるものなのです。
 そこで,哲学の意義が明らかになります。現代の学問として最も有力な自然科学は,我々人間の実際上の生活に多大な恩恵をもたらしました。科学技術の恩恵を一切排除するとすれば,我々は一日として生きることはできないでしょう。しかし一方で自然科学は,人間の環境世界としての自然の破壊や,人間の生命や死の概念の動揺といった,人間の存在にとってきわめて重大で,深刻な問題を投げ掛けていることも確かです。このような問題の生じてくることが,自然科学に本質的であるとすれば(私にはそのように思われますが),当の自然科学自身がこれらの問題を解決することは不可能でしょう。問題解決の前題として,まず自然科学そのものを問い,その根底にある本質を問い質すことが必要になります。これこそ哲学の役割です。しかも,問題がとりわけ我々自身がそれであるところの人間の存在に関わるものであることから,人間存在に問い掛けることになります。
 以上から,哲学的に世界と人間の存在を考察する必然性が明らかになったと思います。もちろんこのような必然性もさることながら,哲学としては,人間の存在について知ること自体の喜びや楽しみを忘れてはならないでしょう。授業はできるだけ皆さんとともに考えながら,人間存在についての理解を深めていきたいと思っています。

太田 裕信准教授

おおた ひろのぶ / OTA Hironobu

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専門分野:倫理思想史

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教員からのメッセージ
 私の専門は「哲学」になりますが、「倫理思想史」という科目を担当しています。「倫理思想史」という言葉はあまり一般的なものではありませんので、私なりの理解を記します。
 まず「哲学」は、いろんな主題を扱いますが、大きく言って、人間という存在がどのようなものかという問題と、どのようにあるべきか・生きるべきかという問題について根本的に考えます。後者の問題を中心とした哲学は一般的に「倫理学」と言われます。また「哲学」とほぼ同義の言葉として「思想」があります。「哲学」は、主にソクラテス以来の「西洋哲学」を指し、「ロゴス(言葉・論理)」を重視するものです。しかし、この世界には、西洋哲学の伝統とは異なった「哲学」、たとえば仏教や文学作品に表現される哲学などがあります。これらは広く「思想」と呼ばれることが多いです。
 要するに「倫理思想史」とは、古今東西において、人間がどのようにあり、どのように生きるべきかについての人間観・世界観・倫理観をめぐる学問だと、言えます。私は特に、20世紀の日本の哲学を研究してきました。20世紀の日本の哲学は、西洋哲学の伝統と東洋の仏教思想の交差において形成されたものです。その研究の知見を活かしながら、大学では、西洋哲学と日本哲学の知見を学生諸君に提供し、それを通じて、現代世界のあり方やあるべき姿を考えています。
 現代社会は、科学技術の発展により多くの利便性を獲得しました。しかし、その発展と同じようには、私たちは幸福にはなっていないようです。自然科学は様々なことを明らかにしてくれますが、私たちは単に物質ではなくて、「意味」や「価値」を追い求め、尽きなく生きようとする存在です。哲学・思想の世界は難解なところもありますが、私たちの生き方を照らし出してくれます。関心を持ったら、是非、授業に参加してみてください。

松枝 啓至講師

まつえけいし / MATSUE Keishi

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専門分野:哲学

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教員からのメッセージ
 みなさんは「哲学」という言葉でどういった学問をイメージするでしょうか? 高校で「倫理」を履修した方は、ソクラテスやデカルト、ニーチェといった哲学者たちを思い浮かべるかもしれません。哲学者たちの名前は頭に浮かんでも、その人たちの思想がどのようなものであったか、曖昧かもしれません。難しくて理屈っぽくて堅苦しいというイメージを抱く人もいるでしょう。
 ただ、「哲学」という言葉の語源は、愛(philos)と知(sophia)の二つの語からなる古代ギリシャ語のphilosophia(フィロソフィア)であり、「知を愛すること」という意味です。そしてこの場合、「知(ソフィア)」とはある特定のジャンルの知識・知恵を指すのではなく、むしろあらゆる分野の知識・知恵を指します。つまり何らかの知恵・知識に対して「愛(フィロス)」を持って一生懸命に探求するという営みが、「哲学(フィロソフィア)」と言えます。したがってみなさんも、自分が何らかの分野の知識探求に熱心に取り組んでいるということであれば、知らず知らずのうちに上記の意味での「哲学」を実践しているということになるでしょう。
そしてある分野の知識を突き詰めて探求していると、自然と他の分野の知識も必要となり、つながっていくものです。何が他に必要となるか、そしてどのようにつながっていくのか、そこにはその人の個性が現れてくるでしょう。さらに「哲学」に足を踏み入れるきっかけも、おそらく人それぞれ、些細な疑問からはじまります。当たり前だと思っていたことが、ふとした瞬間、疑問へと転ずるとき、それが「哲学」のはじまりです。その些細な疑問を気のせいだとスルーせずに、疑問として受け止め、それを自分なりに考え、他の人と議論し、答えを見つけ出そうと努力すること(=「哲学」)。答えはなかなか見つけることができないかもしれませんが、そのように答えを見つけ出そうと試行錯誤するプロセスは、生きていく上での重要な糧となるでしょう。授業でも様々な「疑問」を取り上げながら、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。

野村 優子准教授

のむら ゆうこ / NOMURA Yuko

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専門分野:芸術学

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教員からのメッセージ
 みなさんの好きな絵を一枚、頭の中に思い浮かべてください。浮かんできましたか。それには人物が描かれていますか。あるいは風景 が描かれているかもしれません。次にその絵が好きな理由を考えてみましょう。うまく伝えることができますか。描かれている対象が好き だとか、色彩が好きだとかいろいろと理由はあります。でも、それを相手に納得のいくように説明するのはなかなか難しい。例えば、私は 抽象絵画を描くドイツ表現主義の画家カンディンスキーが好きです。しかし、何が描かれているのかも分からない彼の抽象作品に、なぜ 惹かれるのかを問われると言葉に詰まります。何かが心に引っかかり、好ましく思うのだけど、それが何かは判然としない。

 このように、絵など芸術作品に触れる時、第一印象でなんとなく好きだと思う気持ちがあります。言葉では表現できないけれどなん となく好きなのだと。この「なんとなく」の理由を考え、分析し、表現する。それが芸術学の第一歩です。自分の「好き」を他者と共有 し、意見を交換することによって、「なんとなく」好きだったものがなぜ自分の心に響いたのか、その理由が見えてきます。そうして、絵の 雰囲気が好きならば画家自身を、描かれたスタイルが好きならば印象主義などの美術傾向を研究し、芸術理解を深めていく学問が芸術学です。何かを好きだと思う気持ちの積み重なりが、「私」という自己を形成するのだと私は考えます。自分とは何かを模索する期間 でもある大学時代に、自分の興味関心の所在は何処にあるのかを確認し、人生の友となる芸術作品に出会いましょう。

松木 裕美講師

まつぎ ひろみ / MATSUGI Hiromi

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専門分野:芸術学

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教員からのメッセージ
 私たちは、日々、あふれるようなイメージに囲まれて生活しています。それはインターネットやテレビを通してだけではありません。建物や街並み、そして風景にも色と形があります。自分の環境に対して意識的になれば、これまでと違った世界が見えてくるかもしれません。
 私は、フランスで芸術学を学び、教会、宮殿、モニュメント、広場、公園、そしてそこにいる人々を見ながら芸術について考えてきました。その場から動かすことができない作品に関心があります。作品そのものだけでなく、作品のある場所とその空間的広がりについて考えています。
 授業では、みなさんの能動的な参加を期待します。絵画、彫刻、建築などを時間をかけて分析し、感じたことを人に伝える作業を繰り返すことで、少しずつ芸術への理解を深めてもらいたいです。

十河 宏行教授

そごう ひろゆき / SOGO Hiroyuki

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専門分野:心理学

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教員からのメッセージ
 皆さんは「心理学の講義」と聞いてどういう内容を想像するでしょうか。私が担当する講義を受講生の皆さんのコメントカードでは毎年「想像していた内容と違う」という意見がたくさん寄せられます。このような食い違いが生じる原因のひとつは,心理学が「こころ」という私たちにとって身近でありながら謎に満ちた「何か」を扱うために,いわゆる「理系」分野を含めた幅広い学問分野の知見や手法を駆使するという点にあると思います。
「大学入学前には全然興味がなかったけど講義を受けてみたら意外な発見があった」といった経験は大学生活の醍醐味のひとつだと私は考えていますので,「想像と違う!」という受講生の皆さんの反応は悪いことではないと私は思っています。ただ,「心理学関連の資格を取得したい」,「カウンセリングのことを学びたい」といった明確な目的を持っている方は,大変だと思いますがそれぞれの大学で開講されている講義の内容や,取得できる資格を受験前によく確認してください。また,三年次編入で本学科を受験したいと思っている方も,「想像と違う!」となった後の軌道修正が難しいので,やはり自分が学びたいことと本学科で行われている講義の内容が合っているかしっかりと確認することを強くお勧めします。
 なお,私自身の専門分野は眼球運動の心理学です。私たちが物事を目で見て認識する際の眼球運動の役割やそのメカニズムに興味があります。また,人の目の動きを計測するための技術や,心理学実験を行うためのソフトウェアの開発にも興味を持っています。以下のwebページにて研究内容を紹介していますので,詳しくはそちらをご覧ください。
 十河研究室webページ:http://www.s12600.net/psy/

田村 紋女講師

たむら あやめ / TAMURA Ayame

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専門分野:心理学

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教員からのメッセージ
 「サイコパス」という言葉を聞いたことがある人も,今は増えてきたのではないでしょうか。サイコパスとはどのような人のイメージでしょうか。犯罪者など,いろいろなイメージがあると思いますが,少し危なそうな人というのは共通しているのではないかと思います。サイコパスとは,サイコパシーというパーソナリティの傾向が高い人のことを指します。反社会的な行動と関連するパーソナリティですが,サイコパシー傾向が高い人は必ずしも犯罪者というわけではなく,社会で問題なく生活している人も,むしろ社会的に成功している人もいると考えられています。私が主に研究テーマとしているのは,サイコパシーのようなパーソナリティの,感情や,認知,行動の特徴を調べることです。サイコパシーに限らず,他の反社会的とされているパーソナリティについても研究しています。それぞれのパーソナリティの違いがわかることで,改善や予防につながる知見が得られると期待できます。
 留意していただきたいのは,サイコパシーや心理学を学んだからといって,サイコパスや,犯罪者などの心が読めるようになるというのは少し違うということです。個別の事例を対象とする場合もありますが,多くの場合は,データをたくさん測定して法則性を導き出すということを行います。そういったことも,講義などを通してお伝えしていけたらと思います。大学時代はご自身の関心を比較的自由に探究できる時間です。知ること,学ぶことというのは基本的に楽しいことだと思います。みなさんと楽しい学びの時間をともに過ごせたら嬉しいです。