言語文化分野

徐 敏徹講師

そ みんちょる / SEO Mincheol

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専門分野:言語学

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教員からのメッセージ
 皆さんは収集癖、ありますか。私は物に対する収集癖はありませんが、「言葉」に対する収集癖はあります。本や雑誌などを読んでいるうちに「言語学的に面白い」表現が見つかったら、それをパソコンやスマホのアプリを利用して書き写したり、ドラマや映画などを楽しむときにも「そんな言い方があるのか」と気づいたときには、何回も同じ部分を繰り返し再生して書き取ったりします。また、町中を歩きながら興味深い看板・広告などを見つけたときにも写真を撮って集めています。このような作業をしているうちに、似たような形式の表現が集まり、それが研究のネタになる場合もあります。
 ここで「言語学的に面白い」とはどういうことでしょうか。一例として「いちごいちごしてる」という表現があります。以前、ハーゲンダッツのCMで耳にしたのですが、この表現は基本的に「名詞+名詞+して(い)る」の形式で使い、「名詞」の位置には同じ名詞が2回繰り返されます。「いちごしてる」や「いちごいちごいちごしてる」のように、名詞を1回や3回言うのは不自然です。
 この表現に使われている名詞は、もちろん、「いちご」以外にもあります。電子化された大規模な言語資料である「コーパス」を利用して調べてみた結果、「いちご」の他に「芋・みかん・女の子・男の子・こども・親子・アメリカ・言語学」など、色々な名詞が使われていました。この表現の姉妹品として「肉肉しい・芋芋しい」があります。これらの表現は、どういう関係にあるのでしょうか。
 このように名詞を繰り返して用言を作る方法は、日本語にだけ見られる方法ではありません。私の母語である韓国語にも、このような言い方があります。「いちご」は韓国語で「ttalki」と言いますが、これを2回繰り返して「ttalki-ttalki-hata」、つまり、「いちご-いちご-している」と言うことができます。日本語と韓国語の例を見比べると「対照言語学的に面白い」ところを見つけることもできるでしょう。
 授業では、私たちが毎日当たり前のように話し、聞き、読み、書いている言葉を、言語学的に分析するとはどういうことなのか、また、どのような言語資源や道具を活用すれば「言語学言語学している研究」ができるのか、皆さんといっしょに考えてみたいと思っております。

秋山 英治教授

あきやま えいじ / AKIYAMA Eiji

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専門分野:日本語学

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教員からのメッセージ
 みなさんは,次の文章を読んでどのような植物名(花の名)を思い浮かべるでしょうか。

観賞用に改良された園芸品種で,枝にとげがあります。誕生日などの花束によく使われています。花の色は赤・ピンクが多く,黄色もあります。最近では,青色の花も作られて話題になりました。

答えは簡単です。「バラ」です。ここであれっと思った人がいるはずです。それは,カタカナの「バラ」ではなく,ひらがなの「ばら」や漢字の「薔薇」,さらにはローマ字の「BARA」を思い浮かべた人ではないでしょうか。実は,これら4種類の表記は,どの表記を使っても問題はありません(植物学的な名称などの場合は別ですが)。しかし,同じ植物を表すのに,何種類もあって,どれを使っても良いというのは,不思議なことです。
 それでは,次の一文で示されているものは何でしょうか。

転んで足や手など傷を負った際,けがの応急処置として傷口に貼るものです。

カットバン? バンドエイド? サビオ? リバテープ?……。実は,これらすべての語は商品名に由来する語です。しかも,どの語を使用するか,地域によって違いがあります。しかし,なぜある会社の商品名が各地に広がっていったのでしょうか。
 このように,普段当たり前のように使っている日本語には,まだまだよく分かっていない謎がたくさんあります。自分の使っている日本語にあれっと思った人,いっしょに日本語の謎解きに挑戦してみませんか。

西 耕生教授

にし こうせい / NISHI Kosei

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専門分野:日本文学

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教員からのメッセージ
 “百聞は一見に如かず”とは古典にかんしても真理である。

 僕は顕微鏡を使ってはならない
 (自分でひとつのプレパラートになって)
 僕は望遠鏡を使ってはならない
 (自分の脚で距離を消し)
 僕は只生まれたての眼だけで見よう
 〔谷川俊太郎『十八歳』東京書籍(集英社文庫所収)〕

 重宝すべき「鏡」がそなわる現在だからこそ,それらを使いこなすことのできる「眼」や「手」や「頭」をもつよう心がけること。例えばカメラの「レンズは,裸眼では見ることのできない物を見えるようにし,私たちに現実を小さく見せる可能性を与えます。(ルイジ・ギッリ『写真講義』みすず書房,93頁)」そのように,文学の言葉は,ふだんさわることのできないものをさわれるようにし,私たちに現実を異なる角度からとらえる可能性を与える地平へと導いてくれるのではないだろうか。文学の魅力のひとつには,この〝ことばを〈介して〉さわる〟ということがあるように思われる。〝自分を忘れる〟――「決まりごとや,前もって細かく決められた見取り図を持たずに出発し,型に嵌らない柔軟な方法で(前掲書18頁)」言葉が築きあげる世界に分け入っていこう。

田中 尚子教授

たなか なおこ / TANAKA Naoko

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専門分野:日本文学

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教員からのメッセージ
 ゲームや漫画,映画等を通じて日本でも人気の高い三国志ですが,そもそもいつ頃から人気だったのでしょうか。実は,すでに平安時代には日本に入ってきていることが確認されるものの,江戸時代まではその認知度はかなり低く,今のような状況になるまでにはかなりの歳月を要したようなのです。こういった日本における三国志享受の様相の通史的把握が,私の主たる研究テーマの1つです。これが日本文学なの?と疑問に思う人もいるかもしれませんね。しかし,日本の作品内で少しずつ引用されるなどして,長い時間をかけて三国志言説が徐々に浸透していく背景には,その時々の日本の文化的・社会的事情が存在するのであって,そこを明らかにしていくのは間違いなく日本文学の領域なのです。日本文学の領域の広さ,自由さを皆さんにもわかってもらいたいところです。
 最近,私は室町から江戸時代にかけての学者たちの学問事情についての研究も行っています。その学者たちの中でも特に敬愛する存在として,清原宣賢という人物がいます。家学である明経道を大成したのみならず,文学,神道,漢詩といった家学以外の領域においても講義や注釈書作成を積極的に行うなど,数々の功績を上げた室町期の学者です。彼の関心と知識の幅の広さに感服したのはもちろんですが,『蒙求聴塵』という注釈書で「木牛流馬」なる語について解説する際,諸文献を用いて丁寧に考察しつつも,「コレホド念比ニシタレドモ,コナタニハエ心得ヌニテ也」と結論付けてしまえるその潔さにも,心惹かれたのでした。学問に取り組む上では,無責任な情報を発信することがあってはならず,結果,時にわからないと正直に認めることとて必要になります。しかし,それは最善を尽くしてこそ許されるのであって,その過程を省略して安易に「わからない」としてはいけないのです。これは研究に限られるものではなく,人の生き方全般に当てはまるのではないでしょうか。皆さんにも,宣賢のように,色々な事柄に関心を持ち,そしてそれらに真摯に向き合っていってもらえれば,と思います。

神楽岡 幼子教授

かぐらおか ようこ / KAGURAOKA Yoko

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専門分野:日本文学

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教員からのメッセージ
 400年以前に歌舞伎の歴史が始まります。記録映画もビデオも存在しない時代ですから,その時代の舞台を今日,目にすることはもちろん不可能です。けれども,記録映画やビデオがなくとも,実は江戸時代の歌舞伎を知る方法は豊富にあります。江戸時代の上演記録や脚本,ちらし・パンフレットなどの宣伝物,現在の劇評に通じる評判記,ブロマイドに相当する役者絵,あるいは現在,テレビや映画が小説化されるように,歌舞伎を素材にした小説もあるのです。それらの材料をかき集めれば,江戸時代の歌舞伎を体感することは夢ではないのです。そのための方法を身につけ,自分の力で江戸時代の劇場へのチケットを手にしてみませんか。そして江戸歌舞伎の世界を楽しんでみませんか。

中根 隆行教授

なかね たかゆき / NAKANE Takayuki

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専門分野:日本文学

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教員からのメッセージ
 「文学」というと,みなさんは何か堅苦しい印象をもつかもしれません。ライトノベルやケータイ小説ではない,単なる「小説」も同じようなイメージではないかと思います。しかし,「文学」や「小説」に否定的なイメージをもっている人は,たいてい文学や小説をあまり読んだことがない人です。では「文学研究」といえばどうでしょうか。それを専門にしている私とは逆に,読書感想文を書いているかのような印象を受ける人が多いのではないでしょうか。たった漢字2字であっても,別の言葉が付け加わることによって,言葉にはさまざまなイメージの偏差が生じるものです。
 近代日本における文学概念も,それをどう捉えるかによってさまざまな考え方が生まれてきました。文学は政治運動の手段だという人もいれば,いや高尚な言語芸術であるという人もいました。あるいは今日のマンガやテレビドラマのようなものと言われたり,ときには知的なライフ・スタイルの教科書となるような存在でもありました。それを主張する人はもとより,時代や場所が少し異なるだけでも,言葉のイメージは変化します。1篇の小説に限っても,それがおもしろければおもしろいほど,そこには幾通りもの解釈が成り立ちます。文学テクストを丹念に読み,そこに刻まれた文化表象の断片に出会うことで,みなさんの文学に関するイメージも多様に変化するはずです。

邢 東風教授

しん とんふぉん / SHIN Tonfon

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専門分野:中国文学

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教員からのメッセージ
 周知の通り,中国は数千年の歴史をもつ国である。悠久の歴史の流れの中で,様々な思想や思想家,流派・学説等が現れ,豊富な精神的遺産を遺してきた。我々現代人の生活は,物質面や科学技術的側面においては,古代を遙かに上回る水準に達したが,その精神や知恵の側面においては,必ずしも,古代人よりも優れているとはいえないであろう。確かに,我々の生きている「現代」という時代は,古代の中国社会とは,様々な点において大きく異なっている。しかし,その一方で,いつの時代いかなる国に生まれようと「人間として共通の問題」というものが存在することもまた事実である。例えば,如何に世界を見るか,如何に「為人処世」(人となり,世に処す)るか,如何に「安心立命」(心を安定させて命を確立させる)か,如何に生死・運命・名利・他人・自己に対応するか,などの問題は,何時でも何処でも,人間にとって普遍的な課題として迫って来るものであろう。そうした普遍的な問題を解決するためには,古代人の英知が大いに役立つのであり,古代賢人の智恵を借りる必要があるのである。そうした意味において,古代中国の考え方や価値観は,現代人にとっても,変わることのない,貴重な知的財産の宝庫―精神遺産なのである。

諸田 龍美教授

もろた たつみ / MOROTA Tatsumi

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専門分野:中国文学

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教員からのメッセージ
 高校で漢文が好きだった人は多いはず。中国古典文学は,その漢文の中でも,詩や小説・散文など,文学的な分野を深く探究する学問です。中国の古典や伝統文化は,みなさんが想像する以上に,日本文化に対して計り知れない影響を与えてきました。まずは言葉。日本語を支える二大柱は和語と漢語ですね。その漢語の多くは中国からの輸入語です。例えば「椅子」って漢字,なぜ「イス」と発音するのでしょう?変じゃありませんか?実はそれ,中国語音(イ~ズ)の日本語なまり,なんです。つまり我々は,無意識のうちに中国語を話しているというわけ。すなわち,中国の伝統文化が,日本人に与えている影響は「無意識に及ぶほど深い」のです。まあ,大ざっぱに漢字・漢語=(古典)中国語と言えるのですから,日本語の半分は(古典)中国語が支えているといって過言ではありません。人間は「言葉」によって「世界」や「自分」を「解釈」しています。だとすれば,「あなた」という人間を深い次元で成り立たせている〈日本語や日本文化〉,それをさらに育んだ「母胎」─この際「お父さん」のことは忘れましょう─が,中国古典文化だったとしたら,どうでしょう?─あなたが「あなた」という人間を理解するためには,中国古典文化への理解が欠かせない,ということになるのではありませんか?─恥ずかしながら私(学生時代〈自分〉捜しをしていた私)は,こうして,心理学→日本語学→日本古典文学へと遡(さかのぼ)り,とうとう中国古典文学の研究にたどり着いた,という次第です。世の中〈瑣末なトリビア〉が流行ですが,せめて学生時代には,エッセンシャルな〈本質の探求〉に挑んでみませんか?〈「世界」の解釈法〉や〈人としての個性的な生き方〉,〈言語感覚や美的感性〉を磨く「文学」という分野は,そのために最も有効な─しかも実に魅力的な─生きた総合的学問の一つだと,私は信じています。

池 貞姫教授

ち ぢょんひ / CHI Jong Hi

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専門分野:朝鮮言語文化

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教員からのメッセージ
 近年,日本と朝鮮半島との関係がダイナミックに変化し,その関係がますます深まるにつれて,お隣の文化について関心を持つ人がここ愛媛でもグンと増え,朝鮮語学習人口も飛躍的に増大しました。松山でも韓国直行便が飛ぶようになって十数年が経ち,今では韓国人観光客が松山の地を多数訪れ,多くの韓国人留学生たちが愛大のキャンパスでも学んでいます。また,松山には四国で唯一の朝鮮学校が存在し,在日韓国・朝鮮人の子供たちが学んでいます。私も日本で生まれ育った在日三世で,日本と朝鮮半島の狭間で二つの文化に揉まれて様々なことを感じながら,生きてきました。授業では,朝鮮語の話題を初めとして,朝鮮半島の文化的背景について講義をし,意見交換をしていきます。朝鮮語は,日本語と,語順や漢字語彙などにおいて高い類似性を見せながらも,興味深い相違点が多々見られます。また,日本と朝鮮半島は同じ東アジアに属し,多くの共通項も持ちつつも,異なりを見せている「似ていて異なる」存在同士だといえるでしょう。一見似ていると見えるお隣の言葉や文化を鏡合わせすることによって,それぞれの国の言葉や文化もその姿が浮き彫りになってくるのだと思います。お隣の国のことを勉強しながら,自分の国のことを見つめ直してみませんか。そして,近い存在同士,お互いのことを理解しあってよりよい関係を築いていきませんか。