
教員からのメッセージ
私たちはことばを使って生活しています。人と話すときはもちろん、何かを読んだり、聞いたり、あるいは、たった一人で考えごとをしているときでさえ知らず知らずのうちにことばを使っています。ことばをまったく使わない時間の方が稀でしょう。それだけことばは私たちにとって当たり前の存在です。ところで、「当たり前」というのは実は厄介です。自分が何を当たり前だと思っているのか、まずそのことに気がつくのが難しい。人間同士のトラブルの多くは当たり前が引き起こしていると言ってよさそうです。お互いの当たり前にズレがあり、そのことに気がつかないまま、話が通じない相手とみなして、溝が埋まらない。この種のすれ違いは大小様々あちらこちらで起こっていますよね。自分自身の当たり前に気づくこと、このことは、人とより良い関係を築いていく上で外せない要だと思います。
私は言語学と出会ってから、自分の内側にこびりついていた当たり前がボロボロと剥がれていく瞬間を何度も経験しました。「ことばはコミュニケーションのためにあるのではないし、そもそも、誤解が生じる仕組みである。」このことを初めて耳にした時、大きな違和感が押し寄せるのと同時に、どこかストンと腑に落ちる感覚があったのを覚えています。一つの大きな当たり前が崩れた瞬間でした。そして、これを機にコミュニケーションの学問、「語用論(Pragmatics)」に興味を持つようになりました。現在の私の専門分野の一つです。
なんてことのない日常でも、見方を変えれば景色は一変します。当たり前が剥がされ、崩れされた自分は、新しい自分です。言語学というレンズを携えて、当たり前ではない私たちの日常を一緒に探検しましょう。