池野 敦貴講師

いけの あつき / IKENO Atsuki

, ,

専門分野:民法
教員からのメッセージ
現象に立ちどまって「あるのはただ事実のみ」と主張する実証主義に反対して、私は言うであろう、否、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみと。
出典:フリードリッヒ・ニーチェ(原佑訳)『権力への意志 下』(筑摩書房、1993)27頁

 法律と聞くと、上から降ってきたような、どこか個人では変えがたいもののように思う人もいるかもしれません。しかし、それは決して絶対的なものではない。「解釈」という主観的な作業によって相対的な意味が明らかにされるものです。法律の文言、社会、時代、他者、そして時にはかつての自己。それらと自己との間の尽きることを知らぬ対話のなかで、正解とはかぎらない一応の解としての読みを導き出す。そうした「解釈」が、法律に付き物の作業なのです。
 そう考えてみると、人によっては法律学のおもしろさを垣間見ることができるかもしれません。決まった事柄を覚えるよりは考えることが大事なのであって、そこがおもしろさにつながると思うのです。「このはしわたるべからず」という看板を無視して他人が所有する橋を渡った一休さんは本当に正しかったのか。「ここではきものを脱いでください」という言葉はどういう意味のルールを示しているのか。遠足のしおりの「おやつ(300円まで)」にバナナは入るのか。さしあたり、そういった禅問答のような問いから考えてみても良いかもしれません。
 なかでも、民法という法律は、日常生活のいたるところに顔を出してきます。いま着ている服を入手したとき、なぜお金を払わなければならなかったのか。この文章が掲載されている書物または映し出されている機器は、誰のものなのか。なぜ池野はこの文章を書かなければならなかったのか。挙げればキリがありません。われわれは民法のもとで生きていて、民法はそこかしこに息づいている。そう言っても過言ではないのです。民法について考える種はそこかしこに蒔かれていて、思考の水やりを待っているわけですね。
 その種をみなさんにも見つけてもらって水やりをしてもらい、あわよくば民法学のおもしろさという花を咲かせてもらう。コロナ禍ですっかりコーヒー(現在のお気に入りはパプアニューギニア)と料理(得意料理はポタージュ)にハマってしまったおじさんが、もしよろしければ、そのサポートをさせてもらおうと思っています。
 ただし、おもしろいという結果を約束することはできません。僕はあくまでそのための手段を尽くすにすぎません。おもしろくなくても債務不履行だなどとは言わないでください…。