坂口 周輔講師

さかぐちしゅうすけ / SAKAGUCHI Shusuke

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専門分野:フランス言語文化
教員からのメッセージ
 一篇の詩を読んで心を揺さぶる言葉に出会うこと、一枚の絵の前に佇んでその色彩の強烈さに目を奪われること、一本の映画を鑑賞したあと心地よい疲労感を伴って映画館の外に出ること、あるいはまた一曲音楽を聴いて恍惚感に浸ること。この種の経験ほど贅沢で幸福で人間的なものはないと個人的には強く思うのですが、大学での私の役目は、こんな体験を学生のみなさんができるようお力添えをすることです。言わばみなさんのガイド役を務めるということなので、試しにここでちょっとした小旅行にお連れしましょう。
 私の好きな中原中也の詩「悲しき朝」の冒頭は次のように始まります。「河瀬の音が山に来る、/春の光は、石のやうだ。筧(かけひ)の水は、物語る/白髪の嫗(をうな)にさも肖(に)てる。」字余りあれど五七五のリズムを基調としつつ、驚くべきイメージを私たちに見せつけてきます。これは22歳以前に書かれたものらしく、中也の早熟ぶりには目を見張るばかりですが、その中也に強い影響を及ぼしたのはフランスの早熟詩人アルチュール・ランボーでした。中也はフランス語を勉強し自分でランボーの詩を訳しています。一つ彼の訳した詩句を引用しましょう。「また見付かつた。/何がだ? 永遠。/去つてしまつた海のことさあ/太陽もろとも去つてしまつた。」ロマンチックであるとともに、「何が」と問い「永遠。」とだけ答えるシンプルさがかっこよく響く詩句です。これを原文で読んでみるとさらに味わい深くなります。« Elle est retrouvée. /Quoi ? – L’Éternité./C'est la mer allée/Avec le soleil. » どう読めるのでしょうか。気になる人はぜひフランス語やフランス言語文化の授業を受けてみてください。さて、今引用したランボーの詩句を大変効果的に用いているのが、フランス映画「気狂いピエロ」です。これを監督したジャン=リュック・ゴダールは最近亡くなってしまいましたが、この作品はずっと生き続けるでしょう。ランボーの詩が引用されたラストシーンはあまりに衝撃的で忘れることはできません。そういえば、蛇足ですが、先日ある展覧会でフランスの画家アンリ・マティスの作品を見て、そこでの激しい色使いがゴダールの映画を髣髴とさせるところがあり、ゴダールはマティスが好きだったのかなと何となく思ったのでした。
 以上、さりげなくフランス文化へと誘導してしまったのは、私がフランス文学を専門としているからです。世界は広いです。人でも、作品でも、あるいは風景でも、自分を揺さぶるほどの何かに出会うため、一歩外に足を踏み出してみませんか。その際にフランス語、フランス文化から始めるのも悪くないと思います。